第二章


さて、トルガン・シラの息子チョローンの生まれついた様子は、長身で腰は細く、顔はナツメのように赤く、眼は星のごとく光り、声は銅鑼を鳴らしたようで、力は落雷のごとくだった。

家の中にオルゴルが入ってきて中を探そうとしたので、チョローンは手に斧をつかんだまま、不満そうな恐ろしい目つきで眺め、今にも打ちかかりそうにしていた。

それから、(オルゴルが)羊の毛を積んだ車の方に行ってひっくり返そうとしているのを見て、なんとか打ち負かしてやろうと思い、大きな声で叫んで罵ると、ピカピカ光る斧を見せながらオルゴルに向って「勢いに敗れて逃亡したタタールの輩よ。私たちは何も盗んではいないぞ」と言った。

「畏れ多くも我が集落で家捜しをしようというのか。こんな暑い時期にいったい羊の毛の中に人が居るものか。このように心がけがよくないから妻子を殺されたのだ。奴隷め。もし何も出てこなかったら、生きて帰れるとは思うなよ」といって、太祖にお渡しするつもりの刀を持って、後ろからついてきたのだった。

そこでオルゴルはたいそう驚き怯えて、その場に立ちすくむとこう言った。
「私はあなた方のご主人様の命令でやってきたのです。さもなければ、私となんの関わりがありましょうか」
といって羊の毛を積んだ車を探すのをやめて出て行き、他の家へと探しに行ってしまった。

チョローンはすぐさま太祖を外にお出しすると、汗を拭って乾いた着物をお着せして、立派な淡黄色の馬に鞍をつけて差し上げ、一番よい子羊を屠って道中の食糧とした。トルガン・シラは汗を拭きながらこう言った。

「肝が潰れそうだった。死ぬ目に遭うところであった。早馬を駆ってすぐに国に帰られるがよい。早朝耳にしたところでは、帰国の軍隊が報復のため派兵されたそうだ」

するとチョローンは、
「運命のご主人様に今こうしてお逢いすることができました。私、チョローンもお供いたします」 というと、**たてがみの馬に鞍をつけ、一緒に日夜なく付き添っていった。

道すがら、ムカリが鉄の棒を杖ついて病人のふりをしながら、軍隊の先を進んで主人の消息を伺っているのに出会った。三人はとても喜んで、先頭の軍隊を後戻りさせて一緒にバルゴ・ホローへとたどり着いた。

太祖は母親と泣きながら抱き合って相見え、ムカリとチョローンも(オエルン・ウジンに)拝謁した。幾隊もの軍は皆、主人の戻り来たことを伝え聞くと出陣をやめて、ご挨拶をしにやってきた。ハサルとベルグデイの姿が見えないので理由をたずねると、ムンリクはこう知らせた。

「タイチウドの兵が撤収するとすぐ、ハサルとベルグデイは追手の兵を引き連れて行きましたが、途中でご主人様の鞍付きの八頭の黄色い駿馬を盗賊に奪われてしまったのです。ご主人様のお戻りを聞きつけると軍隊を撤回させ、ご兄弟二人だけで何名かの騎士を連れて、手分けして探しに行かれたのです」ということだった。

太祖は心を痛められてこうおっしゃった。
「我が幼い二人の弟よ。どこかで辛酸をなめているに違いない」

そして、ムンリク、ムカリ、チョローンの三人に命じて、オンドル・セチェンとウネン・トルの二人を呼ばせ、「タイチウドの軍には用心するにこしたことはない。軍隊には褒美を与えて活気付け、準備万端にしておくように。私には駿馬よりも、同じ母親から生まれた兄弟の方が大切だ。必ずや、自ら探しに行って連れ戻そう。皆で相談しよう」と命じられた。

太祖は何名かの騎士を引き連れ、馬を失った場所にまでたどり着き、(弟たち)兄弟が二手に分かれた地点にたたずんだ。従ってきた者たちを二手に分け、跡を追って呼びに行かせることにし、この場所にて再開する約束を交わした。

そして、一泊できるところはないものかと、草のなびいた付近で夜を明かせるところを探していると、アラロド部族の宿営地の一つにまでやってきた。囲いの前には何千頭もの馬が集まっているのが見えた。

家の中では、一人の白い顔をした、灰色の髪の、猿のような背格好で熊のような首をした十五、六歳ぐらいの年頃の少年が、ちょうど鋭い刀を手にして牛の骨から肉をそぎとっていた。

太祖はその幾多もの馬の群れの中に自分の八頭の駿馬が紛れていないかと、しばらく凝視していたのだが、少年はそれを見て怒り、刀を放り出すと大きな剣を手にして、馬に飛び乗って疾走してくるなり、大きな声でこう言った。

「貴様は、畏れ多くも堂々とうちの馬を盗み見していたが、いったいどうしようというのだ」
太祖は慌てず騒がず、笑いながら言った。
「私は何を隠そう、馬を失った者。君の馬の中にいないかどうか見ていたのだ」

その少年は「貴様はどこの部族の者だ。姓と名を名乗れ。何頭の馬を失ったのか」と尋ねたので、太祖はこう答えた。

「私はブェト国の人間だ。ボルジギン氏のテムジンと申すのはこの私。敬愛する友よ、君は噂には聞かなかったか」

彼がボルジギトのテムジンだと聞くと、少年は顔に喜びの色を浮かべ、すぐに(穏やかで)気持ちのよい物言いでこう述べた。

「噂に聞くどころか、この眼でしかと見たましたとも。ちょっと待ってください。いくつか質問したいことがあります。人々は皆、あなたを白い光から成った無上の智慧者、天から生まれた無比の怪力の持ち主と言い合っています。将来は必ずや近隣と遠方の別なく手中におさめ、無双の皇帝の座に着くであろう、徳のある強大な運勢の持ち主だと言われています。それなら、畏れながらあなたにお聞きしましょう。いったい、弦が何本ついた弓を引くことができ、どれほどの重さの石を持ち上げるだけの力を持っているのですか」

太祖がその少年の様子を伺ったところ、その風貌にはただならぬ風格が隠されており、声色も大きく響いて聞こえたので、きっと豪勇であるに違いないということが知れたので、笑いながらこう言った。

「多くの民を治めるには、仁義をもってするのであって、力によってではない。君、さっきの牛の肉を削いでいた刀を持ってきなさい。私が仔細を語ってあげよう」

そういったので、少年は刀を太祖に渡した。太祖は刀を手にとって見ると、刃先がとても薄く、少しも刃こぼれしているところがないので、刀を手にして動かしながら言った。

「天下を治めるということは、このように牛の肉を解体するのと同じことだ。牛を解体することができない者には、牛の関節がどこにあるか分からないから、眼に映るのは丸一頭の牛のみである。もし牛を解体できる者ならば、牛の各部位の関節がどこにあるのか頭に入っているので、眼に映るものはすべて頭、胸、腰というようにそれぞれ分解して捉えることができる。

私たちは牛を目にしなくても、それなりに手が動いて刀が通るものだ。牛の骨肉の間隙を通って、さほど力を入れなくても解体でき、刀も鈍ることがない。なぜかといえば、牛の関節にはすべて隙間があって、刀の刃先もとても薄いので、刀の刃先を牛の骨や筋のうち隙間のある部分に差し込むと、空隙に刃先が入るので、(解体が)たやすいのではないか。

そうした牛の解体ができる人なら、たとえ十頭を解体しようとも、一本の刀しか必要としない。もし牛の解体の経験がない人なら、たった一頭の牛であっても、何十本の刀を使っても解体できない。だから、きっと太い骨を斧でもって断ち割ることになって、力の入れ方も半端ではないだろう。

つまり、天下というものも牛と同じこと。天下を治めるということは牛の解体と同じことなのだ。天下の道理は牛の骨の関節の隙間の道理と同じで、天下を治めるための方策もまた刀の刃先と同じなのだ。

だからこそ、天下を治めるのは信義と知恵によってであり、力任せにやって治められるものではない。諺にも、『太腿に力を入れる人は一人しか従えることができない。知恵を使う人は一万の人を従えることができる』とある。真実と知恵を欲せずに、牛のような怪力を望むとはどうしたものか」 といって刀を投げ捨てた。

これらのお言葉に少年は産毛が総毛立ち(訳注:本文抜け?)、心から敬服する気持ちになり、急いで馬から下りるとお辞儀をして跪いて従った。

この少年は誰かと言えば、アロルドのラフ・バヤンという人の息子であって、思慮深きボールチという者だった。(後に)太祖の四駿馬と呼ばれた人々の一人である。このようにして太祖は、大腿骨のある牛について論じてボールチ・バートルを従えたのだった。

ボールチという名は、生まれてから毎日成長を続け、たった一ヶ月で他の一歳の子供のように大きくなり、鹿のように育ったため、そのように名付けられたのである。

太祖が馬から飛び降りてボールチを抱き起こすと、彼はこう言った。

「昨日のたそがれ時、五人の騎士たちが、背が高くて大きな八頭の素晴らしい淡黄色の馬を追い立てながら行きました。ここから西の方に向って行ったのです。ご主人様、あなた様の馬は疲れているようです」といって家に招きいれて休息させてもてなした。

「深夜早馬を駆って行けばきっと追いつくでしょう」と言い、速き灰色の馬に鞍をつけ、太祖を代わりの馬にお乗せし、自分は耳の小さな足の速い馬に乗って、二人で一緒に追いかけていった。

次の日の夕方になって、盗賊の通った道を見つけて近づいてみると、囲いを作って八頭の馬を囲んであり、盗賊たちはしばし眠っているところだった。太祖は、
「友よ、ここで待っていてくれ。私が盗賊の作った囲いを壊して中に入り、馬を連れ出してこよう」とおっしゃった。

するとボールチは、「徳ある主人としてこうしてお仕えしてきました。敵を傍観しているだけとは、なんの功績にもなりません」 といって、目の前にある盗賊たちが黄色い綱で作った囲いを断ち切って中に入り、八頭の馬を連れ出してくると、五人の盗賊たちは目を覚まして叫び、一人が出てきたので、大きな剣を斜に構えて盗賊に立ち向かうと、とても大きな声で「ご主人様、早く馬を連れ出してください」 と言ったので、太祖は馬を駆り、八頭の馬を連れ出して疾走した。

盗賊たちのうち三人はこれを見てボールチを遮って戦い、(あとの)二人は太祖を追いかけてきたので、ボールチは大いに怒り、盗賊の頭を打ちのめして落馬させてしまった。太祖は二人の盗賊が追ってくるのを見て、弓に矢をつがえて、馬を徐行させて構えていたので、弓を引き絞って射ると、前から追ってきた盗賊の脳天に突き刺さり、後にパタンと馬から落ちた。後から追ってきた盗賊たちは大いに恐れ、急いで馬首を返して逃げたので、太祖は後ろに向って追っていき、またもや矢をつがえて逆の方を向きながら逃げ行く盗賊の細い腰を射抜いて落とした。

あとの二人の盗賊たちは心臓が砕け散り、手足が凍てつくほどに混乱したので、ボールチは満身の力を込めて剣を振りかざし、一人を怒鳴りつけ、もう一人の盗賊の頭をバンと打って落とした。

残った一人の盗賊は肝が張り裂けそうなほどに怖がり、さらに太祖が槍を持って追いかけてくるのを見て慌て、この隙にボールチの大きな剣の下を潜り抜け、馬を何度も何度も鞭打って飛ぶように逃げていった。ボールチは馬を奮い立たせ追って行こうとしたが、太祖が大きな声で呼びながら言った。

「友よ、我々は大きな馬を得たからよいではないか。逃げた盗賊を追うではない」
というので、ボールチは馬を引いて戻ってきて言った。

「盗賊を根絶しておかなければ、後に害を及ぼすこととになりましょう」

太祖がおっしゃるには、
「『鹿がやってきたら向って行くな、逃げた敵は追うな』という諺がある。慌てて(追いかけていって)も過ちを犯すかもしれないということだ。駄目な盗賊一人になんの必要があるか。我が友ボールチよ、君が過ちを犯したらなんにも意味もないではないか」

そして二人は八頭のすばらしい淡黄色の馬だけでなく、盗賊の四頭のすばらしい馬を連れて来て、ラフ・バヤンの家にたどり着いた。その当時、ボールチは十五歳で、太祖よりも一歳年下だった。ラフ・バヤンはかなり心配していたところ息子が帰って来たのを見て喜び、太祖が誰であるかを尋ねたので、ボールチは順序だてて話をした。ラフ・バヤンは、あっちを向いて笑ったとか思えば、こっちを向いては憂えるながらも、太祖をお泊めした。そして息子に向ってそっと言った。

「『名高きボルジギトの仇は甚だしく、聖なるテムジンの戦いは多い』と聞いている。息子よ、お前は用心して付き合うがよい。これは笑い事ではないぞ」

ボールチは、
「仇の数が多くとも、高貴な血筋ではありませんか。戦いが多くても、天の子であります。友として付き合ってみれはわかることです」と言った。

翌朝、太祖が八頭の駿馬だけを取って四頭をあげようとしたところ、ボールチは慌てて言った。

「運命の主として務めて参ったこの私。徳ある主と思って従ってきたこの私。父の所有しているこんなに多くの馬ですら、私一人で管理するには手に余ります。このうえ、ご主人様から駿馬を頂いたりしたら、私には生涯にわたって何の功績もないことになりましょう」

そこで太祖は、
「これらの出来事は、すべて我が友のお陰に他ならない。遠慮なくこれらを所有するがよい。きっと、一緒に同じように所有すべきである」

二人が揉めていたところ、ラフ・バヤンは喜び微笑んで、奪ってきた四頭の馬を残して自分のものにした。そこでやっと太祖は別れを告げて出発すると、ボールチは何里(注:ガチャル)もの道のりを見送りに付いてきて、弟たちと会う約束をしていた場所にたどり着くと、皆は揃って宿営しながら待っていた。そして太祖が皆に挨拶をし、ボールチと別れる段になって、ボールチの手を握って別れを惜しんでいると、ボールチは慌てて跪くとこう言った。

「高貴なご主人様。速やかに出発なさってくださいませ。誠意を持って従ってきたあなた様のボールチは、ほんのしばらくしたら戻ってきてお会いいたします」

そこで太祖はやっと手を離して別れ、帰途について戻ってきた。太祖と四人の弟たち、五人の大臣らは喜びあって挨拶をし、八頭の駿馬を彼らに与えると、(幕舎の中に)入ってオエルン・エヘに皆でお会いした。

この頃、タイチウド部族は領土は広く、国は大きく民も大勢いて、精力は強大だった。このため、何度も何度も侵略してきたので、ゆっくりと眠ることもかなわなかった。太祖はことを重視し、国を挙げて一斉にタイチウドを攻撃したらどうだろうと思い、四人の弟とムンリク、オンドル・セチェン、ウネン・トル、ムカリ、チョローンたちと相談しあった。多くの者たちは復讐することに夢中になっていたが、ムカリはそれを制してこう言った。

「なりません。諺にも『岩石を射るなら、ハゲワシの羽根のついた矢は大事にとっておいて使うべきではない。邪悪な敵と戦うなら、すべての民の力の程を知っておくべきだ』とあります」

「(鳥の)王者、ガルーダ鳥が天に届くほど高く飛ぶことができるのは、堅く力強い翼があるからです。ハーンの血筋たるご主人様は、まだ羽などを育て準備するべき時であって、豪勇の者たちが戦うべき時期でもありません。それよりは、英気を養うことができる良い場所を見つけるべきです」

そこで太祖はムカリのこの言葉はもっともとなことだと思い、とても驚き喜んで、
「突きつめて考える者、ムカリよ。お前の言うことはもっともだ。年は若いが、太陽のように明るい思慮の持ち主だ」といってオエルン・エヘに謁見させると、オエルン・エヘは大いに賛成してこう言った。

「お前の祖父の時代にボルハン・ガルドン(このボルハンという語は仏のボルハンのことではない。北モンゴルの地では山に木が茂ることが少ないが、この山には松やコノテガシワが繁々と茂っていたので、ブル・ハン・ガルドンと名付けられた)の南斜面で山を要塞と成して敵の襲来を逃れ住んでいました。今、混乱を避けてそこに隠れて何年か精力を蓄えつつ兵力を養うのがよいでしょう」

太祖は母親のお言葉やムカリの進言を考え合わせて、すぐにボルハン・ガルドン山へと移ってきた。ボルハン・ガルドンの獅子口という谷から二十里のところにある台地に居を構え、バルゴ・ホローの民も臣下もすべて移ってきて、ボルハン・ガルドンの狭き谷のある渓谷で守りを固めた。水や草の生育も良いため、ブェト国は非常に活力を増し、太祖の威力と名声も上がっていき、四方の小部族たちが数多く入り込んできたので、ブェト国はかなり勢力を増していった。

太祖は十七歳になったので、オエルン・エヘは以前父親がホンギラド部族のデイ・セチェンの娘と結納を交わしたのだからといって、娶る日を決め、ムンリクとチョローンの二人を呼んで、銀の鼻輪と黒テンの房飾りをつけた白いラクダを始めとして、碧玉の馬勒や宝石をはめ込んだ鞍と馬勒をつけた白い馬九頭、何もつけていない馬九頭を二揃い、牛と羊を九頭を三揃い、丸ゆでの羊とその皮、お酒九つを三揃い、というように九つの贈り物を持たせ、デイ・セチェンに贈って日取りを決めるために遣わせた。

二人はお供の者や従卒を従えて、ヘルレン河を遡り、デイ・セチェンのところにたどり着いた。デイ・セチェンと謁見して贈り物の旨告げると、デイ・セチェンはそれを歓迎してこう言った。
「あなた方の部族をタイチウド部族が討ったというので、私も兵を準備していたところ、あなた方のご主人が帰還したと聞いたので出兵しませんでした。天はきっと私の義理の息子テムジンが滅びることなく(栄えるように)といっているのでしょう。今や赤い太陽が東から昇り、政も益々強固なものになろうとしています」といって日取りを決めて返答した。

その頃、チョローンの父親トルガン・シラはタイチウドと仲たがいをするようになって孤立して暮らしていたため、太祖は人を派遣して連れてこさせ、彼の二人の幼い息子チンバイ、テムルと共に、土地を与えて住まわせた。トルガン・シラを婚礼の宴の主たる使者となして、吉日が近づいてきてから、大臣や識者たちを連れてホンギラド部族のところに向かい、ブルテグルチン・ジュスン(そのジュスンというのは、ウイグル国で妃という意味である。あるいはジャサンと書くこともある。そのように慣例にしたがって書いた)妃を迎えにいった。

そして、デイ・セチェンの主たる宿営地を通りがかろうとしたとき、デイ・セチェンの大臣であるフイセン・ボーラル(この者は額のところに一房灰色の部分があったので、そのように生まれつきの灰色と名付けられたのである)が出てきて尋ねた。

「まだ朝早いというのに、扉を塞いで留まっているとは何事か。全ての人々が和気藹々としているというのに出口を塞いで留まっているとは何事か」というので、皆の中からムンリクが出てきて言った。

「あなた様のところに一人のお嬢様がいらっしゃいますね。以前、私たちの主人に嫁がせるとの取決めがなされています。婚戚にあたる、碧玉のようなお嬢様を天の子たる我が主人の妃となそうとして参りました。ハゲワシの毛で作ったこの矢をごらんあれ」といって、昔太祖がイェスゲイ・バートルが亡くなったことを(聞きつけて)馬を駆って帰ることになったとき、デイ・セチェンが目印としてくれた矢筒の金のトーノブ(?)のついたを手に持って見せた。

するとデイ・セチェンが言うには、「(自らの)軸のような娘を娶らせるからには、我が家のかまどの火を崇めさせるべきである。(自らの)手のような娘を娶らせるからには、我が家の火を崇めさせるべきである」

そして、あらゆる祭礼を全うし、九種類の弦楽器、踊りと**音楽でもてなし、三十二個のハナからなる御殿と八十一戸(の家来)を嫁入り道具として持たせて嫁に出した。

その頃、ホンギラトには才識のある人が大勢いたので、太祖の婚礼のとき、同様に十二のハナからなる大きな錦の御殿を建てて、娘が出発するときにやってきて、太祖の大臣たちの知恵を探ろうとして、
「我が錦の御殿をおめでたい言葉で祝福し、油を敷居に塗ってお祝いすべきである」と言ったので、ムンリクが胸をそらして進み出て、油を塗ってお祝いし、ツァツァルで乳を撒き、大きな声で祝詞を奏上した。

フェルトで覆われし幕舎よ
有識の高貴な宮殿とならんことを
有識の宮殿に住まう我が主人よ
力を増して永久に幸あらんことを
敷居ある幕舎の戸口より
徳ある泉がほとばしり
ボルジギト氏族の聖なる我が主人よ
ありとあらゆる総てを支配したまえ
錦で覆われし幕舎よ
至上の宮殿となりたまえ
飾り房のついた垂れ幕に住まう我らが主人よ
必ずや全世界を手中にせんことを
錦で中を飾った宮殿よ
優美ですばらしき宝殿とならんことを
心地よく中にお住まいの我らが主人よ
傑出した大ハーンの位に就きたまえ
トーノに御座する家の守り神に
清き聖水のしずくを捧げん
中に住まわれる力ある我が主人を
障りなく至福たらしめんことを
上座に御座する座処の主に
すべての聖水のしずくを捧げん
一対の素晴らしき四足の椅子を
はるか彼方まで堅固になさんとお作りせよ

すると、ホンギラドの人々は皆驚きあった。ボーラルはムンリクの優れた物言いを目の当たりにしたところ、彼を弱気にさせ、ブェト国の誇りをちょっとくじいてやろうと思った。両国の大臣はお香と白檀を焚いて天と地に捧げ、太祖と妃の二人に神霊を崇めさせ、脛骨と背皮ひも(?)を用意して、大宮殿に招きいれた。(二人は)弓を手にして覆いをはずし、龍の垂れ幕に入ると金の杯を酌み交わした。双方の大臣らは九つを全うした盛大な宴を催し、トルガン・シラはデイ・セチェンに九つの白きお礼の品々を贈って出発させた。翌朝、垂れ幕を開けてみると、双方の大臣たちが星のように大勢集まっていた。ボーラルはムンリクを弱気にさせようと、大きな龍の垂れ幕に九本の縒りひもを結びつけ、みなの前で学識を誇示しようと群集の中から出てきて、高らかに祝詞を奏上した。

錦龍の絹の垂れ幕を引き
飾り房や縒りひもをしっかりと結びたり
吉日のよき時刻に外したれば
必ずや幸ありて
我らが二方の婚姻は成就せん

そして幕の縒りひもを持ち上げて、すべて結んでしまった。ムンリクが前に進み出て解こうとしたところ、ボーラルは手を挙げて制してこう言った。
「ちょっと待て。私と同じように祝詞を奏上してから解くように」
そこでムンリクは立ち止まって、ゆったりと高らかに祝詞を奏上した。

乳酒と初乳を塗って祝福したりては
名声が十法に伝え聞かれんことを
子孫はよく繁栄し
臣民は永久に付き従わんことを

そうして九本の縒りひもを解きながら、一つ一つ祝詞を奏上していった。

満天の守護神の加護があらんことを
衆生に名をとどろかせんことを
婚戚を保護せんことを
民々は海を越えんことを
皇族と肩を並べんことを
民々の尊敬を集めんことを
異国の彼方で待望されんことを
無上のハーンの位につかんことを
九つの願いが
このように叶いますように

そうして全て(の縒りひも)を持ち上げて解き終えたところ、ボーラルが進み出て下から上へと結わえて祝詞を奏上した。

民々を愛顧せよ
下僕たちを養育せよ
すべての奴隷たちを同等に扱い
臣民を注意深く育てよ
大臣の力量を知って登用せよ
大臣たちの言葉に従え
生まれた子供をよく教育せよ
出遭った妃を幸せにせよ
偉大になっても母親の恩を忘れるな

そうやって一連を述べるごとに一本の縒りひもを結んで、すべて結び目を作ってしまった。ムンリクは少しも考え込むことなく、また胸をそらして進み出て、さっきと同じように下から上へと持ち上げて解きながら祝詞を奏上した。

仏のごとくすべての人に崇められんことを
ホルモスト神のごとく多くを支配せんことを
磁石のごとく権力は強固にならんことを
須弥山のごとくそそり立たんことを
乳海のごとく幸多からんことを
日月のごとく光に満ちんことを
草花のごとく子孫は繁栄せんことを
松やコノテガシワのごとく長寿であらんことを

といってまた解き終えると、フイスン・ボーラルはホンホタンのムンリクが九つのやり方で祝詞を奏上したのを見て、またもや結び目を作ろうとして奏上しようとしたところ、太祖は龍の垂れ幕の中からムンリクがいい間違えをしたらことだと思って咳払いをなさった。そのとき、ジャライドのムカリは大宮殿の外で太祖と妃の白いちりめんと灰色の引き綱をつけた贈り物を積んだ馬を引いて立ったままずっと待っており、彼らを面倒に思い待ちわびていたので、今太祖が咳払いをした声を聞いてとても喜び、大きな声でこう叫んだ。

「これは平凡な者が凡庸な言葉を言い合っているに過ぎない。あなたが様々に奏上した祝詞のようにご主人様がお出ましになれば、一切はそのようにうまくいくでしょう。もったいなくもご主人様の出立を邪魔してはならない。このように多くの臣民の何千人もがご主人様とお妃様のお二人を待ちわびています。宝石を積み上げてお呼びしたところにお出ましになって、愛しむべき皆で帰還する時が来ました」

表でひざまずいてこう告げたので、太祖は心中穏やかになって喜ばれ、龍の袖でガルーダ鳥の垂れ幕をかかげてみなの前に姿を現した。双方の多くの大臣たちが礼をした後、太祖はボーラルに目を留めてよく見ると、豹の頭、虎の胸、顔は黄色く髪は灰色で、背は高く肩幅が広く、まさに虎のような大臣であった。そこで太祖は非常にお褒めになり、二人の大臣に同等に褒美をつかわせた。

そして、デイ・セチェンは垂れ幕をめくり終えたことを聞いて、娘を見送りにやって来ると、太祖とブルテグルチン妃の二人は共に礼をした。さて、九種の宝を縫い付けた覆いを被せた車で銀の鐙を踏んで出発する時刻になったとき、デイ・セチェンは娘の手を握って戒めの言葉を述べた。

「彼らが垂れ幕の縒りひもを九回結んで、九回解き、九回祝詞を奏上したからには、私も同じように九つの戒めを述べよう。我が娘よ、心に刻んでそれに従うがよい。第一に、裁縫をよくするように。第二に、食べ物や飲み物をきれいに保て。第三に、よく考えて行動するように。第四に、物事には気をつけて、要らぬおしゃべりはしないように。第五に身体を大切にして、意思を強く持つように。第六に愚痴をこぼすようになってはならない。第七に、吝嗇になりすぎないように、第八に嫁ぎ先の人々に心を配って敬え。第九に怠け心を起こしてはならない。

この九つのうち一つでも欠けたならば、九つの国の言葉(この九つの言葉の戒めは、今なお北方の地のティブチという地に残されている。概要を述べるなら、お経の音でよく知られているラという戒めのようなものである)を学んで書に通じたデイ・セチェンの称号を持つ私の娘ではないと思え」

そこでブルテグルチン妃は一つ一つを心に刻んで涙を流しながら鐙を踏んで車に乗り込んだ。

側近の大臣はトルコ石と珊瑚をつけた装身具をはずし、ムンリクは五つの盾を背負って前に立った。

太祖は六種の婚礼のしきたり(六種の婚礼のしきたりとはすなわち、婚約をする、ハタグを献上する、お酒を飲ませる、大いなるソム(?)の贈り物を届ける日にちを約束して決める、お酌をして名づけをしてもらう、娶ることをいう。これはモンゴルの六種の婚礼のしきたりである。忘れてはならない)を全うし、ブルテグルチン・ジュスン妃を娶って来たところ、デイ・セチェン自らを始めとして、九つの親戚家を率い、九百九十九人の婚礼の参列者を引き連れて、ブェト国まで海の波のように押し寄せてきた。

そのとき、ヘレイト国の赫王トオリルがブェト国の太祖が再び精力を盛り返したことを聞きつけて、まだ招待もされないうちから我先にとやってきた。太祖が戻ってくる前に、オヘルン・エヘはオンドル・セチェンとウネン・トゥルの二人に命じて婚礼の宴のための大きな幕舎を作らせ、やっとの思いで四方からたどり着いた参列者の宿営地に羊や牛、お茶、バターをふるまわせた。すると、ウリヤンハンのジャルチゴダイが**息子ジェルメを連れてお祝いにやってきて、オヘルン・エヘにお会いしてこう告げた。

「以前、オヨーのデルグン・ボルタグで幼いご主人様がお生まれになったとき、ウルゲイを作って差し上げて、この子を三歳のとき連れてきて差し上げたところ、ウジン・エヘは幼いからといってお返しになりました。その間に、私はこの子を連れて南は金国、宋国、夏国、遼国などを行商をして周り、この子は二十歳近い年齢になりました。

何ヶ国語もの文字にたけ、話もできるようになりました。軍事の知識もありますし、火薬も作れます。今や幼きご主人様の御前で鞍をつけ、鐙を踏んで馬勒を持って、鞭を振り上げることもできます。北はロシアにも何度か行商に行っています。様々なことに少しずつ携わって参りました。旅行や戦争、狩にと何にでもお力添えができましょう。金なるウジン・エヘよ、庇護をして、お手元においてくださいませんか」

そこでオヘルン妃ウジン・エヘがご覧になると、ジェルメの姿は背が高くて腰は細く、顔は玉のように白く、唇は朱のように赤かった。**は高く、細く素晴らしい眉毛、ほのかに輝く澄んだ眼、まさに一代の王を補佐するにふさわしい様子だったので喜んで命じられた。

「あの当時は育てようとしても大変だと思ったのです。今やこのように素晴らしく成長して、しかも私の息子のものとなって助力をしてくださるとは、私たち母子にとってまたとない喜びとなりましょう」
といって、お傍に置かれた。

占い師ジャルチゴダイが言うことには、
「息子の運命はよくありません。私はご主人様が幼いときから一緒に遊び、幼いご主人様にお仕えしながら育つようにと考えていたのです。不本意ながら南北へと行商に行って、ご主人様の辛苦やお骨折りにご一緒できませんでした。そうではありますが、その間に漢地、チベット、タングート、ウイグル、ロシア、朝鮮の言葉をすべて身につけましたので、ご主人様には少しなりともお力になることができましょう」というので、オヘルン・ウジンは喜んでお褒めになった。

そして、婚戚の到来が近づいてきたので、すぐにジャルチゴダイとジェルメの父子は太祖の二人の弟のオイト・オチグ、オラン・ガチグに付き従って接待をしに行った。第二の接待には、オヘルン・ウジンの二人の弟であるオルホノドのウルルゲ大臣、リデル・セチェンの二人が、太祖の上の弟であるブフ・ベレクテイ、ハブト・ハサルの二人を連れて行った。第三の接待には、ヘレイトの赫王が多くの部族の長を従えて、デイ・セチェンを始めとした九つの親戚家にお酒と羊の丸ゆでを捧げて迎え、虎の皮で作られた大きな幕舎を掃き清めて宴を催した。

その後、金の**と玉の敷居に祝詞を奏上し、かまどの火を崇め、オヘルン・ウジンにお辞儀をすると、中でも外でも弦楽器、芦笛、大笛、笛、ヤトガが鳴り響き、九台の荷車が戸口を塞ぎ、二人の侍女が宮殿を帯で囲み、お香や白檀の煙が漂い、人々は皆錦を着て宴は大盛況だった。(考えるに、良質の絹や値の張る錦は西チベットや北モンゴルで使用されるため、このようにたくさん出てくるのであろう。その年活仏ジャンジャーがドローン・ノールで祭りを行なうといくつもの旗のモンゴル人たちが集まり、多くの富豪やワン・グンはいうまでもなく、ハンガイ車を曳いている人もズボンを履かず裸の上に錦のデールを着たという)

その後、オヘルン・ウジンは、花嫁のブルテグルチン・ジュスン妃が**で、温和で、しかも美しく輝き、壮麗であるのを見て、たいそう満足してお喜びになった。太祖と花嫁が揃って跪いたので、(オヘルン・ウジンは)祝福してお酒を賜った。見ると、まったく一組の天のホルモスト神の王のような気概があった。そして、ブルテグルチン妃の寛容で聡明なことが国中で評判になり、多くの人々はセチェン・ジュスン妃と呼んだ。後に太祖がハーンの位についたとき、元朝の史書に「光献皇后」とされ、オヘルン・ウジン(ウジンとはおばあさんという意味の古いモンゴル語である)は「タイ・チェン太后」***。

そして、四方から太祖の隆盛を聞きつけて、この宴に集まってきた小国や小部族が極めて多かったので、太祖は、馬乳酒、ヨーグルト、乳、バター、牛、羊、雌牛、雌馬の丸ゆでと皮、お茶、大麦の粉などを何台もの車に積んで、ケルレン河の端の大きな幕舎に持って行き、三日間の盛大な宴を催した。

赫王は以前自分の父親と盟友であったし、今も真っ先に婚礼の宴の支度をして待っていてくれた、といって(太祖は)自分の着ていた茶色い黒テンの外套の良いものを選んで、主な贈り物となして彼に着せた。また、宴席の上座に座らせて、デイ・セチェンの接待をしてもらい、宴には金の器を使用したので、赫王は非常に喜び、お酌をしながら

茶色の黒テンの外套のお礼に
散り散りになった汝の国をまとめよう
黒いかわうそ色の外套のお礼に
別れ別れになった汝の国を一つにしよう

と述べた。オヘルン・エヘは元来ブェト国の人々にお酒を固く禁じていたため、宴にもお酒を出さなかった。それに対して、ソラダス氏族のトルガン・シラは、ホンギラト氏族のボーラルが心楽しくない様子なのを見て、太祖がお酒を下さるようにと、思い起こさせるような言葉を述べた。

盛大なるこの宴で
世の中の食べ物はすべて揃いたるも
頼りになる良き果実酒がなければ
無益にぼんやりと活気がなくなり
極上の宴も台無しにならんや

そこでジャライト氏族のムカリはそれに応じて、

お酒は約束した言葉を忘れさせ
傲慢な心を乱れさせる
お酒の必要はない
もっとましな話をしようではないか

するとジュルチド氏族のチョー・メルゲンはこれに応じて、

太古より伝えられた聖なる水
重要な集まりに今や幸福の
これをもし我慢するならば
このように盛大な宴の日に
**になってしかるべし

この時、アルラド氏族のボールチは太祖が妃を娶ったことを聞きつけてお祝いにやってきて、この度の宴に参加していたので、すぐさま続けて述べた。

味をみんとすれば
金の絞り汁のごとくして
口から出づるときは
獅子が立てるに同じ
理と知の二つを忘れさせ
入り引きてきたるを消失させ
たくましき身体を腑抜けにさせ
隠密な話を暴露させる
果実酒を貪ることなかれ
良き政の話をしよう我らは
お酒に味をしめることなかれ
様々なことを相談しあい解散しよう我らは

するとウリヤンハイのジュルメは今しがた来たばかりだったので、この機会に学識と知恵を披露しようと、大きな声でこう言った。

お酒は酔わせる性質なれど
ご主人様の法なからんや
茶色の果実酒は酔わせる性質なれど
聖なる主人の支配はなからんや
飲み物として果実酒を飲めば
仔馬のように幸福になり
前後の見境なく酩酊し
倒れ起きるまで散り散りにならん

するとブスド氏族のゾルゴガダイは、はいと言って続けた。

飲み物の果実酒がなければ婚礼もない
出会ったこの身にも幸せはない
お酒に果実酒がなければ美味しくない
約束を交わして友となっても幸せはない

そう言い終える前に、オイラートのハル・ヒルが起き上がって言った。

集いし皆で飲めば幸せ
近くに遠くに聞けば希望
約束しがたい言葉に飾り
殺し戦いあう戦に勇気

そして、なぜ飲まないでいられようと言った。デイ・セチェンに従ってきたフイスン・ボーラルは、三人が続けてお酒を褒める言葉を述べて、お酒を禁ずる者がいなくなってしまったのを見て、我らが由緒あるボルジキト氏族のお酒の禁忌を破るのは好ましくないと考え、急いでこう言った。

交わした約束を忘れさせ
善き人々を悪しきに導き
真の言葉を追い出して
清き知恵を鈍らせるではないか
茶色い果実酒に益はなし
決別させるのが常にして
ボルジギトの思慮深い禁忌を
考えなしの果実酒で壊すことなかれ

すると、シリ・ホトグは快く思わなかったので、大きな声で言った。

聖なる主の福多き運勢に
白鳥のごとく声を合わせて
野生馬のごとく力を合わせて
集まった皆で楽しみつつ飲むべし

そうやって識者たちが言い合いをして止まらないでいたところ、戸口の近くで器を運んでいた一人の孤児の男の子があざ笑いながら立っていたのを太祖はご覧になって、その男の子を傍に呼び寄せて尋ねた。
「坊やよ、なぜそのようにあざ笑っているのだ」と聞くと、その孤児は告げた。

大人の仲間入りもできますし
思ったことも述べられます
大臣とも肩を並べられますし
分別ある意見も述べられます

というので、太祖は言った。
「何事もなければよいが。坊や、言うことがあるなら言ってみよ。口があるなら述べてみよ」

そこで孤児は感謝して、知恵の限りを尽くしてお酒の害悪と学識を区別してこう述べた。

やみくもに飲めば病の元
ほんの少し飲むなら薬
この祝宴で飲めば幸福
馬鹿げた泥酔は浅はかにして
久しく常に飲むなら害毒あり
極めて忍耐強ければ知恵あり
故あるときに飲めば賑わしく
倒れるほどに飲めば難儀なり

そこで太祖はたいそう喜ばれ、それに賛成してこう述べられた。

「少年の言葉はまさにとても正しい。お酒というのは、少しだけ飲むなら心を楽しませるものだ。習慣になってしまえば生命に危険を及ぼす害毒に溢れている」といって少年の出身地と氏族を尋ねたところ、少年は跪いてお辞儀をし、私めはバヤゴド氏族の十三歳の孤児の少年でソチ(ソチというのは幼い頃から人々が驚くほどにしゃべったので驚いた父母がソチと名付けたのであった)ですと言った。

太祖は非常に快く思われ、きちんとした衣服と帽子を与えて褒美とし、少年の名前を変えて、多くの識者たちの間で分別をつけることができたといって、オヨト・セチェンという名前を授けた。その後、オヨト・セチェンを登用して側近となした。彼はウイグル国の文字にもよく通じていたので、太祖の起居動作を記録する係となり、朱の筆を賜った。

それから、太祖は起き上がって宿営地の間に赴いて、内殿に入り、オエルン・ウジンにお酒を賜るようお願いしたところ、オエルン・ウジンはあまりにも素晴らしい花嫁を娶ってとても喜ばしい時なので、太祖の願いを聞き届け、お茶やお酒の類を一括して管理しているシュフルという者に呼び寄せて命令し、何種類ものお酒の類を何台もの車に載せて大宴会に持っていかせた。

それには何千もの賓客たちは喜んだ。湖や海のようなお酒と果実酒、山のように積み上げられた肉や食べ物、および五種の液汁、七種の柔らかい食べ物、九種の丸ゆでを用意した大宴会となった。相撲、弓技、詩歌もあり、弦楽器、芦笛、ヤトガ、笛が鳴り響き、**喜びに満ち溢れた素晴しさは筆舌に尽くせないほどであった。デイ・セチェンもとても喜んで褒め称えていた。北モンゴルではおべっか遣いは常なることだったので、この時、ブェト国が精力が強大になったのを見て、付き従ってきた部族も少なくなかった。

デイ・セチェンが宴会を眺め渡すと、このたびの集まりに集まった壮麗な識者は格別な様相を呈しており、多くの部族の民々を見ると、壮麗な若者たちは皆、ほとんどが婿の太祖を心から尊敬している様子であった。そして、眼を転じて婿の太祖を見ると、ホルモスト神のごとく、玉岩のようであり、顔の光はすべての人民を支配し、眼の勢いはすべての人々を威嚇するものであった。

本当に万人の群れを隈なく照らすような光を放っており、多くの人々の間で赤い光線がぱっと光り、全く生まれながらにして天の子の様子を隠すところなく示しているので、デイ・セチェンは内心とても喜んだ。自分の年もまだ四十を過ぎていないので、きっとこの群れの主と臣下が栄えるときを間違いなく見ることができようといって、いっそう喜んでは飲むのであった。

また、婿に反逆するものはいないかとひそかに伺い見ると、主席に座した赫王なる者は顔が黄色く、髭が薄く、眼は三角で瞳孔は黄色っぽく、人が悪そうだった。さらに彼の息子は金国から新公の称号を賜って、名前をイルゴといったが、傲慢かつ凶暴で、高慢ちきである。太祖の威光には不満で、妬んでいる様子であった。彼の生まれついた様は、地ねずみの頭のようで、しまりすのような眼、走り方は狐のようで、狼のような眼つきだった。

再び見ると、ゴルロドから来た一人、ジャムハなる者は背が低く、脚が長く、顔は黄色っぽく、歯は凶暴で、蛇のようで狐臭い眼つきであった。また、かねてから盗賊の一族であるライハト部族のセチェン・ブフなる者は、手斧のような頭、フクロウのような眼つき、狼のような口の両ヘリ、蛙のような太腿で、ろくでもない人物であった。

ハルガイ部族のメゲジン・セゲルなる者は、実に豚のような背中で、ラクダのような脚で、とても嫌気がさした。マイルジ部族の長オンドル・セチェンの兄、ウニの使者としてやってきたトドなる者はウサギのような頭で、蛇のような眼つきで、熊のような首で、牛のような鼻梁をしていて、かなり変な風貌なので、夜になってから一人一人について皆太祖に話をして、彼らをずっと用心しているようにと言った。

このとき、さらにイジルチ、チチルチ、ミジルチという三つの部族がいた。

そして、次の日も同様に海や湖のようなご馳走を前に宴会をしていると、ベスド部族のゾルゴガダイが突然出てきて跪いてこう言った。
「私は以前、タイチウドと一緒にご主人様の乗った血紅馬の首を射って死なせてしまったのを、ご主人様ははっきりと覚えていらっしゃいますでしょう。今や、私をお許しにはならないでしょうね」
というので、太祖はかすかに微笑みながら言った。

「仇でありながら、会いに来たとは、よき男児ではないか。よき男児は草の芽のごとく兄弟のように愛するべきである。希望して敬ってきたのに、どうして仇を討つことがあろうか」

というので、ゾルゴダイは、
「運命のご主人様は貴方様です」
といって涙ながらにお辞儀をして付き従った。お酒について論議していた人々も皆非常に感動し、一緒にお辞儀をした。

かくしてゾルゴガタイが矢じりで血紅馬を射殺したにも関わらず、復讐を恐れないで矢じりのように飛んできて付き従ったため、ゾルゴガタイという名を改めてゼブと名付け、参列に加えさせた。このように多くの人々が歓喜に沸き、天と地の父母、日と月が満ち、ハーンと妃が出遭ったことの賑わいは万物が花開いたごとくであった。

そして、第二日も同様に湖のようなお酒と山のような肉を積み上げて宴会をしていた。最初の日に招待されてやってきたライハト部族の盗賊の一味のセチェン・ブフなる者には、二人の母親があった。

年上の母親はホーチン妃、年下の母親のイボハイといった。イボハイはほんの二十数歳で、顔つきは美しく、お酒にも強かったため、宴会の分配係をしていた者はイボハイに大きな皮袋二つ分のお酒を与えた。しかし、年上の母親は飲むことができないので皮袋一つ分だけのお酒を与えた。

するとホーチン妃は嫉妬心を起こし、オエルン・ウジンの傍から怒って出てきて、宴会の分配係をしていた者を探し出して、

「あなたはどういう訳でイボハイと仲良くして、私を見下すのか」
と言って、シュヘルを引っ掻き、さらにイボハイをつかんでひどく叩いて帰ってしまった。

シュヘルがそのことを太祖に報告すると、太祖はかすかに微笑んで、
「無知な悪い女を気にかけて、どうしようというのだ」
といってやり過ごしてしまった。

三日目も、セチェン・ブフの馬子がブフ・ベレクテイの豹の腱でできた馬の尻帯を盗み取ったので捉えられた。ベレクテイがいくらか戒める言葉を述べて跪かせたところ、セチェン・ブフは突然のことに恥ずかしさに怒り、ベレクテイを罵ると、ベレクテイはこう言った。

「私の兄はあなたを客人として尊重して、盟友たちと一緒に宴会に参加させたというのに、どうしてこのように恥ずかしいことをするのか。昨日はといえば、お前の二人の母親が喧嘩をして我々の宴会を台無しにしてしまった。今日はといえば、お前の馬子が酔っ払って、また私の馬の尻帯を盗んだのである。こんな恥ずかしいことをする人が他にいようか」
というと、セチェン・ブフはいっそう怒って酔っ払った勢いで剣を抜いて斬りかかると、ベレクテイは慌てて身をかがめて避けたが、背中に傷を負って出血した。

ベレクテイの臣下はそれを見て大きな声で一度叫ぶと、馬乳酒をかき混ぜる棒、肉を食べるときのフォーク(?)、木の竿、鉄かぶとを持って打ちに行った。これに対してセチェン・ブフは剣を振りかざして大いに暴れたが、ベレクテイは大きな声で臣下を叱って言った。

「あなたはどうして私の兄の祝宴を混乱させようというのか。私の傷はそんなに深くありません」
というと、盗賊の一味のライハド部族の者どもが一斉に武器を手にして攻撃しにやってきた。それで双方でもみ合いが始まった。太祖はベレクテイの背中を斬られたということを聞いて、雷のように怒り、机を叩いて大きな声で一言怒鳴った。

「つけ上がった奴隷のセチェン・ブフを打ちのめして連れて参れ」
と言うやいなや、ムカリ、ボールチ、ボーラル、チョローンらが身を動かし、武器をつかんで一斉に走り出てきた。

この場面がどうなった知りたいでしょうが、研究者で役人である私の青いともし火を消して、白い**の幕の中で一夜を眠って過ごし、赤い太陽が昇る前に母親に挨拶をして、黒い墨を摺って、ホホ・ソダルの続きを書いた次の章をお読みください。


美麗な詩を生み出すはお酒なるものの
殺し合いや怒りを生み出すもまたお酒なり


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