はじめに

『ホホ・ソダル(大元盛世青史演義)』は、1830~1891年にインジャンナシによって執筆されたモンゴルの歴史小説です。この物語は長い間、手書き写本によって伝えられていましたが、近年になって活字印刷によって出版されるようになりました。内モンゴルではモンゴル文字によって、モンゴル国ではキリル文字によって出版されています。

当サイトは、『ホホ・ソダル』を日本語訳したものをまとめています。少しずつ訳して、日記ブログ「いたこのたわごと」に書き込み、ある程度貯まってから整理して、当サイトに掲載しなおす予定です。

インジャンナシ

第二章


さて、トルガン・シラの息子チョローンの生まれついた様子は、長身で腰は細く、顔はナツメのように赤く、眼は星のごとく光り、声は銅鑼を鳴らしたようで、力は落雷のごとくだった。

家の中にオルゴルが入ってきて中を探そうとしたので、チョローンは手に斧をつかんだまま、不満そうな恐ろしい目つきで眺め、今にも打ちかかりそうにしていた。

それから、(オルゴルが)羊の毛を積んだ車の方に行ってひっくり返そうとしているのを見て、なんとか打ち負かしてやろうと思い、大きな声で叫んで罵ると、ピカピカ光る斧を見せながらオルゴルに向って「勢いに敗れて逃亡したタタールの輩よ。私たちは何も盗んではいないぞ」と言った。

「畏れ多くも我が集落で家捜しをしようというのか。こんな暑い時期にいったい羊の毛の中に人が居るものか。このように心がけがよくないから妻子を殺されたのだ。奴隷め。もし何も出てこなかったら、生きて帰れるとは思うなよ」といって、太祖にお渡しするつもりの刀を持って、後ろからついてきたのだった。

そこでオルゴルはたいそう驚き怯えて、その場に立ちすくむとこう言った。
「私はあなた方のご主人様の命令でやってきたのです。さもなければ、私となんの関わりがありましょうか」
といって羊の毛を積んだ車を探すのをやめて出て行き、他の家へと探しに行ってしまった。

チョローンはすぐさま太祖を外にお出しすると、汗を拭って乾いた着物をお着せして、立派な淡黄色の馬に鞍をつけて差し上げ、一番よい子羊を屠って道中の食糧とした。トルガン・シラは汗を拭きながらこう言った。

「肝が潰れそうだった。死ぬ目に遭うところであった。早馬を駆ってすぐに国に帰られるがよい。早朝耳にしたところでは、帰国の軍隊が報復のため派兵されたそうだ」

するとチョローンは、
「運命のご主人様に今こうしてお逢いすることができました。私、チョローンもお供いたします」 というと、**たてがみの馬に鞍をつけ、一緒に日夜なく付き添っていった。

道すがら、ムカリが鉄の棒を杖ついて病人のふりをしながら、軍隊の先を進んで主人の消息を伺っているのに出会った。三人はとても喜んで、先頭の軍隊を後戻りさせて一緒にバルゴ・ホローへとたどり着いた。

太祖は母親と泣きながら抱き合って相見え、ムカリとチョローンも(オエルン・ウジンに)拝謁した。幾隊もの軍は皆、主人の戻り来たことを伝え聞くと出陣をやめて、ご挨拶をしにやってきた。ハサルとベルグデイの姿が見えないので理由をたずねると、ムンリクはこう知らせた。

「タイチウドの兵が撤収するとすぐ、ハサルとベルグデイは追手の兵を引き連れて行きましたが、途中でご主人様の鞍付きの八頭の黄色い駿馬を盗賊に奪われてしまったのです。ご主人様のお戻りを聞きつけると軍隊を撤回させ、ご兄弟二人だけで何名かの騎士を連れて、手分けして探しに行かれたのです」ということだった。

太祖は心を痛められてこうおっしゃった。
「我が幼い二人の弟よ。どこかで辛酸をなめているに違いない」

そして、ムンリク、ムカリ、チョローンの三人に命じて、オンドル・セチェンとウネン・トルの二人を呼ばせ、「タイチウドの軍には用心するにこしたことはない。軍隊には褒美を与えて活気付け、準備万端にしておくように。私には駿馬よりも、同じ母親から生まれた兄弟の方が大切だ。必ずや、自ら探しに行って連れ戻そう。皆で相談しよう」と命じられた。

太祖は何名かの騎士を引き連れ、馬を失った場所にまでたどり着き、(弟たち)兄弟が二手に分かれた地点にたたずんだ。従ってきた者たちを二手に分け、跡を追って呼びに行かせることにし、この場所にて再開する約束を交わした。

そして、一泊できるところはないものかと、草のなびいた付近で夜を明かせるところを探していると、アラロド部族の宿営地の一つにまでやってきた。囲いの前には何千頭もの馬が集まっているのが見えた。

家の中では、一人の白い顔をした、灰色の髪の、猿のような背格好で熊のような首をした十五、六歳ぐらいの年頃の少年が、ちょうど鋭い刀を手にして牛の骨から肉をそぎとっていた。

太祖はその幾多もの馬の群れの中に自分の八頭の駿馬が紛れていないかと、しばらく凝視していたのだが、少年はそれを見て怒り、刀を放り出すと大きな剣を手にして、馬に飛び乗って疾走してくるなり、大きな声でこう言った。

「貴様は、畏れ多くも堂々とうちの馬を盗み見していたが、いったいどうしようというのだ」
太祖は慌てず騒がず、笑いながら言った。
「私は何を隠そう、馬を失った者。君の馬の中にいないかどうか見ていたのだ」

その少年は「貴様はどこの部族の者だ。姓と名を名乗れ。何頭の馬を失ったのか」と尋ねたので、太祖はこう答えた。

「私はブェト国の人間だ。ボルジギン氏のテムジンと申すのはこの私。敬愛する友よ、君は噂には聞かなかったか」

彼がボルジギトのテムジンだと聞くと、少年は顔に喜びの色を浮かべ、すぐに(穏やかで)気持ちのよい物言いでこう述べた。

「噂に聞くどころか、この眼でしかと見たましたとも。ちょっと待ってください。いくつか質問したいことがあります。人々は皆、あなたを白い光から成った無上の智慧者、天から生まれた無比の怪力の持ち主と言い合っています。将来は必ずや近隣と遠方の別なく手中におさめ、無双の皇帝の座に着くであろう、徳のある強大な運勢の持ち主だと言われています。それなら、畏れながらあなたにお聞きしましょう。いったい、弦が何本ついた弓を引くことができ、どれほどの重さの石を持ち上げるだけの力を持っているのですか」

太祖がその少年の様子を伺ったところ、その風貌にはただならぬ風格が隠されており、声色も大きく響いて聞こえたので、きっと豪勇であるに違いないということが知れたので、笑いながらこう言った。

「多くの民を治めるには、仁義をもってするのであって、力によってではない。君、さっきの牛の肉を削いでいた刀を持ってきなさい。私が仔細を語ってあげよう」

そういったので、少年は刀を太祖に渡した。太祖は刀を手にとって見ると、刃先がとても薄く、少しも刃こぼれしているところがないので、刀を手にして動かしながら言った。

「天下を治めるということは、このように牛の肉を解体するのと同じことだ。牛を解体することができない者には、牛の関節がどこにあるか分からないから、眼に映るのは丸一頭の牛のみである。もし牛を解体できる者ならば、牛の各部位の関節がどこにあるのか頭に入っているので、眼に映るものはすべて頭、胸、腰というようにそれぞれ分解して捉えることができる。

私たちは牛を目にしなくても、それなりに手が動いて刀が通るものだ。牛の骨肉の間隙を通って、さほど力を入れなくても解体でき、刀も鈍ることがない。なぜかといえば、牛の関節にはすべて隙間があって、刀の刃先もとても薄いので、刀の刃先を牛の骨や筋のうち隙間のある部分に差し込むと、空隙に刃先が入るので、(解体が)たやすいのではないか。

そうした牛の解体ができる人なら、たとえ十頭を解体しようとも、一本の刀しか必要としない。もし牛の解体の経験がない人なら、たった一頭の牛であっても、何十本の刀を使っても解体できない。だから、きっと太い骨を斧でもって断ち割ることになって、力の入れ方も半端ではないだろう。

つまり、天下というものも牛と同じこと。天下を治めるということは牛の解体と同じことなのだ。天下の道理は牛の骨の関節の隙間の道理と同じで、天下を治めるための方策もまた刀の刃先と同じなのだ。

だからこそ、天下を治めるのは信義と知恵によってであり、力任せにやって治められるものではない。諺にも、『太腿に力を入れる人は一人しか従えることができない。知恵を使う人は一万の人を従えることができる』とある。真実と知恵を欲せずに、牛のような怪力を望むとはどうしたものか」 といって刀を投げ捨てた。

これらのお言葉に少年は産毛が総毛立ち(訳注:本文抜け?)、心から敬服する気持ちになり、急いで馬から下りるとお辞儀をして跪いて従った。

この少年は誰かと言えば、アロルドのラフ・バヤンという人の息子であって、思慮深きボールチという者だった。(後に)太祖の四駿馬と呼ばれた人々の一人である。このようにして太祖は、大腿骨のある牛について論じてボールチ・バートルを従えたのだった。

ボールチという名は、生まれてから毎日成長を続け、たった一ヶ月で他の一歳の子供のように大きくなり、鹿のように育ったため、そのように名付けられたのである。

太祖が馬から飛び降りてボールチを抱き起こすと、彼はこう言った。

「昨日のたそがれ時、五人の騎士たちが、背が高くて大きな八頭の素晴らしい淡黄色の馬を追い立てながら行きました。ここから西の方に向って行ったのです。ご主人様、あなた様の馬は疲れているようです」といって家に招きいれて休息させてもてなした。

「深夜早馬を駆って行けばきっと追いつくでしょう」と言い、速き灰色の馬に鞍をつけ、太祖を代わりの馬にお乗せし、自分は耳の小さな足の速い馬に乗って、二人で一緒に追いかけていった。

次の日の夕方になって、盗賊の通った道を見つけて近づいてみると、囲いを作って八頭の馬を囲んであり、盗賊たちはしばし眠っているところだった。太祖は、
「友よ、ここで待っていてくれ。私が盗賊の作った囲いを壊して中に入り、馬を連れ出してこよう」とおっしゃった。

するとボールチは、「徳ある主人としてこうしてお仕えしてきました。敵を傍観しているだけとは、なんの功績にもなりません」 といって、目の前にある盗賊たちが黄色い綱で作った囲いを断ち切って中に入り、八頭の馬を連れ出してくると、五人の盗賊たちは目を覚まして叫び、一人が出てきたので、大きな剣を斜に構えて盗賊に立ち向かうと、とても大きな声で「ご主人様、早く馬を連れ出してください」 と言ったので、太祖は馬を駆り、八頭の馬を連れ出して疾走した。

盗賊たちのうち三人はこれを見てボールチを遮って戦い、(あとの)二人は太祖を追いかけてきたので、ボールチは大いに怒り、盗賊の頭を打ちのめして落馬させてしまった。太祖は二人の盗賊が追ってくるのを見て、弓に矢をつがえて、馬を徐行させて構えていたので、弓を引き絞って射ると、前から追ってきた盗賊の脳天に突き刺さり、後にパタンと馬から落ちた。後から追ってきた盗賊たちは大いに恐れ、急いで馬首を返して逃げたので、太祖は後ろに向って追っていき、またもや矢をつがえて逆の方を向きながら逃げ行く盗賊の細い腰を射抜いて落とした。

あとの二人の盗賊たちは心臓が砕け散り、手足が凍てつくほどに混乱したので、ボールチは満身の力を込めて剣を振りかざし、一人を怒鳴りつけ、もう一人の盗賊の頭をバンと打って落とした。

残った一人の盗賊は肝が張り裂けそうなほどに怖がり、さらに太祖が槍を持って追いかけてくるのを見て慌て、この隙にボールチの大きな剣の下を潜り抜け、馬を何度も何度も鞭打って飛ぶように逃げていった。ボールチは馬を奮い立たせ追って行こうとしたが、太祖が大きな声で呼びながら言った。

「友よ、我々は大きな馬を得たからよいではないか。逃げた盗賊を追うではない」
というので、ボールチは馬を引いて戻ってきて言った。

「盗賊を根絶しておかなければ、後に害を及ぼすこととになりましょう」

太祖がおっしゃるには、
「『鹿がやってきたら向って行くな、逃げた敵は追うな』という諺がある。慌てて(追いかけていって)も過ちを犯すかもしれないということだ。駄目な盗賊一人になんの必要があるか。我が友ボールチよ、君が過ちを犯したらなんにも意味もないではないか」

そして二人は八頭のすばらしい淡黄色の馬だけでなく、盗賊の四頭のすばらしい馬を連れて来て、ラフ・バヤンの家にたどり着いた。その当時、ボールチは十五歳で、太祖よりも一歳年下だった。ラフ・バヤンはかなり心配していたところ息子が帰って来たのを見て喜び、太祖が誰であるかを尋ねたので、ボールチは順序だてて話をした。ラフ・バヤンは、あっちを向いて笑ったとか思えば、こっちを向いては憂えるながらも、太祖をお泊めした。そして息子に向ってそっと言った。

「『名高きボルジギトの仇は甚だしく、聖なるテムジンの戦いは多い』と聞いている。息子よ、お前は用心して付き合うがよい。これは笑い事ではないぞ」

ボールチは、
「仇の数が多くとも、高貴な血筋ではありませんか。戦いが多くても、天の子であります。友として付き合ってみれはわかることです」と言った。

翌朝、太祖が八頭の駿馬だけを取って四頭をあげようとしたところ、ボールチは慌てて言った。

「運命の主として務めて参ったこの私。徳ある主と思って従ってきたこの私。父の所有しているこんなに多くの馬ですら、私一人で管理するには手に余ります。このうえ、ご主人様から駿馬を頂いたりしたら、私には生涯にわたって何の功績もないことになりましょう」

そこで太祖は、
「これらの出来事は、すべて我が友のお陰に他ならない。遠慮なくこれらを所有するがよい。きっと、一緒に同じように所有すべきである」

二人が揉めていたところ、ラフ・バヤンは喜び微笑んで、奪ってきた四頭の馬を残して自分のものにした。そこでやっと太祖は別れを告げて出発すると、ボールチは何里(注:ガチャル)もの道のりを見送りに付いてきて、弟たちと会う約束をしていた場所にたどり着くと、皆は揃って宿営しながら待っていた。そして太祖が皆に挨拶をし、ボールチと別れる段になって、ボールチの手を握って別れを惜しんでいると、ボールチは慌てて跪くとこう言った。

「高貴なご主人様。速やかに出発なさってくださいませ。誠意を持って従ってきたあなた様のボールチは、ほんのしばらくしたら戻ってきてお会いいたします」

そこで太祖はやっと手を離して別れ、帰途について戻ってきた。太祖と四人の弟たち、五人の大臣らは喜びあって挨拶をし、八頭の駿馬を彼らに与えると、(幕舎の中に)入ってオエルン・エヘに皆でお会いした。

この頃、タイチウド部族は領土は広く、国は大きく民も大勢いて、精力は強大だった。このため、何度も何度も侵略してきたので、ゆっくりと眠ることもかなわなかった。太祖はことを重視し、国を挙げて一斉にタイチウドを攻撃したらどうだろうと思い、四人の弟とムンリク、オンドル・セチェン、ウネン・トル、ムカリ、チョローンたちと相談しあった。多くの者たちは復讐することに夢中になっていたが、ムカリはそれを制してこう言った。

「なりません。諺にも『岩石を射るなら、ハゲワシの羽根のついた矢は大事にとっておいて使うべきではない。邪悪な敵と戦うなら、すべての民の力の程を知っておくべきだ』とあります」

「(鳥の)王者、ガルーダ鳥が天に届くほど高く飛ぶことができるのは、堅く力強い翼があるからです。ハーンの血筋たるご主人様は、まだ羽などを育て準備するべき時であって、豪勇の者たちが戦うべき時期でもありません。それよりは、英気を養うことができる良い場所を見つけるべきです」

そこで太祖はムカリのこの言葉はもっともとなことだと思い、とても驚き喜んで、
「突きつめて考える者、ムカリよ。お前の言うことはもっともだ。年は若いが、太陽のように明るい思慮の持ち主だ」といってオエルン・エヘに謁見させると、オエルン・エヘは大いに賛成してこう言った。

「お前の祖父の時代にボルハン・ガルドン(このボルハンという語は仏のボルハンのことではない。北モンゴルの地では山に木が茂ることが少ないが、この山には松やコノテガシワが繁々と茂っていたので、ブル・ハン・ガルドンと名付けられた)の南斜面で山を要塞と成して敵の襲来を逃れ住んでいました。今、混乱を避けてそこに隠れて何年か精力を蓄えつつ兵力を養うのがよいでしょう」

太祖は母親のお言葉やムカリの進言を考え合わせて、すぐにボルハン・ガルドン山へと移ってきた。ボルハン・ガルドンの獅子口という谷から二十里のところにある台地に居を構え、バルゴ・ホローの民も臣下もすべて移ってきて、ボルハン・ガルドンの狭き谷のある渓谷で守りを固めた。水や草の生育も良いため、ブェト国は非常に活力を増し、太祖の威力と名声も上がっていき、四方の小部族たちが数多く入り込んできたので、ブェト国はかなり勢力を増していった。

太祖は十七歳になったので、オエルン・エヘは以前父親がホンギラド部族のデイ・セチェンの娘と結納を交わしたのだからといって、娶る日を決め、ムンリクとチョローンの二人を呼んで、銀の鼻輪と黒テンの房飾りをつけた白いラクダを始めとして、碧玉の馬勒や宝石をはめ込んだ鞍と馬勒をつけた白い馬九頭、何もつけていない馬九頭を二揃い、牛と羊を九頭を三揃い、丸ゆでの羊とその皮、お酒九つを三揃い、というように九つの贈り物を持たせ、デイ・セチェンに贈って日取りを決めるために遣わせた。

二人はお供の者や従卒を従えて、ヘルレン河を遡り、デイ・セチェンのところにたどり着いた。デイ・セチェンと謁見して贈り物の旨告げると、デイ・セチェンはそれを歓迎してこう言った。
「あなた方の部族をタイチウド部族が討ったというので、私も兵を準備していたところ、あなた方のご主人が帰還したと聞いたので出兵しませんでした。天はきっと私の義理の息子テムジンが滅びることなく(栄えるように)といっているのでしょう。今や赤い太陽が東から昇り、政も益々強固なものになろうとしています」といって日取りを決めて返答した。

その頃、チョローンの父親トルガン・シラはタイチウドと仲たがいをするようになって孤立して暮らしていたため、太祖は人を派遣して連れてこさせ、彼の二人の幼い息子チンバイ、テムルと共に、土地を与えて住まわせた。トルガン・シラを婚礼の宴の主たる使者となして、吉日が近づいてきてから、大臣や識者たちを連れてホンギラド部族のところに向かい、ブルテグルチン・ジュスン(そのジュスンというのは、ウイグル国で妃という意味である。あるいはジャサンと書くこともある。そのように慣例にしたがって書いた)妃を迎えにいった。

そして、デイ・セチェンの主たる宿営地を通りがかろうとしたとき、デイ・セチェンの大臣であるフイセン・ボーラル(この者は額のところに一房灰色の部分があったので、そのように生まれつきの灰色と名付けられたのである)が出てきて尋ねた。

「まだ朝早いというのに、扉を塞いで留まっているとは何事か。全ての人々が和気藹々としているというのに出口を塞いで留まっているとは何事か」というので、皆の中からムンリクが出てきて言った。

「あなた様のところに一人のお嬢様がいらっしゃいますね。以前、私たちの主人に嫁がせるとの取決めがなされています。婚戚にあたる、碧玉のようなお嬢様を天の子たる我が主人の妃となそうとして参りました。ハゲワシの毛で作ったこの矢をごらんあれ」といって、昔太祖がイェスゲイ・バートルが亡くなったことを(聞きつけて)馬を駆って帰ることになったとき、デイ・セチェンが目印としてくれた矢筒の金のトーノブ(?)のついたを手に持って見せた。

するとデイ・セチェンが言うには、「(自らの)軸のような娘を娶らせるからには、我が家のかまどの火を崇めさせるべきである。(自らの)手のような娘を娶らせるからには、我が家の火を崇めさせるべきである」

そして、あらゆる祭礼を全うし、九種類の弦楽器、踊りと**音楽でもてなし、三十二個のハナからなる御殿と八十一戸(の家来)を嫁入り道具として持たせて嫁に出した。

その頃、ホンギラトには才識のある人が大勢いたので、太祖の婚礼のとき、同様に十二のハナからなる大きな錦の御殿を建てて、娘が出発するときにやってきて、太祖の大臣たちの知恵を探ろうとして、
「我が錦の御殿をおめでたい言葉で祝福し、油を敷居に塗ってお祝いすべきである」と言ったので、ムンリクが胸をそらして進み出て、油を塗ってお祝いし、ツァツァルで乳を撒き、大きな声で祝詞を奏上した。

フェルトで覆われし幕舎よ
有識の高貴な宮殿とならんことを
有識の宮殿に住まう我が主人よ
力を増して永久に幸あらんことを
敷居ある幕舎の戸口より
徳ある泉がほとばしり
ボルジギト氏族の聖なる我が主人よ
ありとあらゆる総てを支配したまえ
錦で覆われし幕舎よ
至上の宮殿となりたまえ
飾り房のついた垂れ幕に住まう我らが主人よ
必ずや全世界を手中にせんことを
錦で中を飾った宮殿よ
優美ですばらしき宝殿とならんことを
心地よく中にお住まいの我らが主人よ
傑出した大ハーンの位に就きたまえ
トーノに御座する家の守り神に
清き聖水のしずくを捧げん
中に住まわれる力ある我が主人を
障りなく至福たらしめんことを
上座に御座する座処の主に
すべての聖水のしずくを捧げん
一対の素晴らしき四足の椅子を
はるか彼方まで堅固になさんとお作りせよ

すると、ホンギラドの人々は皆驚きあった。ボーラルはムンリクの優れた物言いを目の当たりにしたところ、彼を弱気にさせ、ブェト国の誇りをちょっとくじいてやろうと思った。両国の大臣はお香と白檀を焚いて天と地に捧げ、太祖と妃の二人に神霊を崇めさせ、脛骨と背皮ひも(?)を用意して、大宮殿に招きいれた。(二人は)弓を手にして覆いをはずし、龍の垂れ幕に入ると金の杯を酌み交わした。双方の大臣らは九つを全うした盛大な宴を催し、トルガン・シラはデイ・セチェンに九つの白きお礼の品々を贈って出発させた。翌朝、垂れ幕を開けてみると、双方の大臣たちが星のように大勢集まっていた。ボーラルはムンリクを弱気にさせようと、大きな龍の垂れ幕に九本の縒りひもを結びつけ、みなの前で学識を誇示しようと群集の中から出てきて、高らかに祝詞を奏上した。

錦龍の絹の垂れ幕を引き
飾り房や縒りひもをしっかりと結びたり
吉日のよき時刻に外したれば
必ずや幸ありて
我らが二方の婚姻は成就せん

そして幕の縒りひもを持ち上げて、すべて結んでしまった。ムンリクが前に進み出て解こうとしたところ、ボーラルは手を挙げて制してこう言った。
「ちょっと待て。私と同じように祝詞を奏上してから解くように」
そこでムンリクは立ち止まって、ゆったりと高らかに祝詞を奏上した。

乳酒と初乳を塗って祝福したりては
名声が十法に伝え聞かれんことを
子孫はよく繁栄し
臣民は永久に付き従わんことを

そうして九本の縒りひもを解きながら、一つ一つ祝詞を奏上していった。

満天の守護神の加護があらんことを
衆生に名をとどろかせんことを
婚戚を保護せんことを
民々は海を越えんことを
皇族と肩を並べんことを
民々の尊敬を集めんことを
異国の彼方で待望されんことを
無上のハーンの位につかんことを
九つの願いが
このように叶いますように

そうして全て(の縒りひも)を持ち上げて解き終えたところ、ボーラルが進み出て下から上へと結わえて祝詞を奏上した。

民々を愛顧せよ
下僕たちを養育せよ
すべての奴隷たちを同等に扱い
臣民を注意深く育てよ
大臣の力量を知って登用せよ
大臣たちの言葉に従え
生まれた子供をよく教育せよ
出遭った妃を幸せにせよ
偉大になっても母親の恩を忘れるな

そうやって一連を述べるごとに一本の縒りひもを結んで、すべて結び目を作ってしまった。ムンリクは少しも考え込むことなく、また胸をそらして進み出て、さっきと同じように下から上へと持ち上げて解きながら祝詞を奏上した。

仏のごとくすべての人に崇められんことを
ホルモスト神のごとく多くを支配せんことを
磁石のごとく権力は強固にならんことを
須弥山のごとくそそり立たんことを
乳海のごとく幸多からんことを
日月のごとく光に満ちんことを
草花のごとく子孫は繁栄せんことを
松やコノテガシワのごとく長寿であらんことを

といってまた解き終えると、フイスン・ボーラルはホンホタンのムンリクが九つのやり方で祝詞を奏上したのを見て、またもや結び目を作ろうとして奏上しようとしたところ、太祖は龍の垂れ幕の中からムンリクがいい間違えをしたらことだと思って咳払いをなさった。そのとき、ジャライドのムカリは大宮殿の外で太祖と妃の白いちりめんと灰色の引き綱をつけた贈り物を積んだ馬を引いて立ったままずっと待っており、彼らを面倒に思い待ちわびていたので、今太祖が咳払いをした声を聞いてとても喜び、大きな声でこう叫んだ。

「これは平凡な者が凡庸な言葉を言い合っているに過ぎない。あなたが様々に奏上した祝詞のようにご主人様がお出ましになれば、一切はそのようにうまくいくでしょう。もったいなくもご主人様の出立を邪魔してはならない。このように多くの臣民の何千人もがご主人様とお妃様のお二人を待ちわびています。宝石を積み上げてお呼びしたところにお出ましになって、愛しむべき皆で帰還する時が来ました」

表でひざまずいてこう告げたので、太祖は心中穏やかになって喜ばれ、龍の袖でガルーダ鳥の垂れ幕をかかげてみなの前に姿を現した。双方の多くの大臣たちが礼をした後、太祖はボーラルに目を留めてよく見ると、豹の頭、虎の胸、顔は黄色く髪は灰色で、背は高く肩幅が広く、まさに虎のような大臣であった。そこで太祖は非常にお褒めになり、二人の大臣に同等に褒美をつかわせた。

そして、デイ・セチェンは垂れ幕をめくり終えたことを聞いて、娘を見送りにやって来ると、太祖とブルテグルチン妃の二人は共に礼をした。さて、九種の宝を縫い付けた覆いを被せた車で銀の鐙を踏んで出発する時刻になったとき、デイ・セチェンは娘の手を握って戒めの言葉を述べた。

「彼らが垂れ幕の縒りひもを九回結んで、九回解き、九回祝詞を奏上したからには、私も同じように九つの戒めを述べよう。我が娘よ、心に刻んでそれに従うがよい。第一に、裁縫をよくするように。第二に、食べ物や飲み物をきれいに保て。第三に、よく考えて行動するように。第四に、物事には気をつけて、要らぬおしゃべりはしないように。第五に身体を大切にして、意思を強く持つように。第六に愚痴をこぼすようになってはならない。第七に、吝嗇になりすぎないように、第八に嫁ぎ先の人々に心を配って敬え。第九に怠け心を起こしてはならない。

この九つのうち一つでも欠けたならば、九つの国の言葉(この九つの言葉の戒めは、今なお北方の地のティブチという地に残されている。概要を述べるなら、お経の音でよく知られているラという戒めのようなものである)を学んで書に通じたデイ・セチェンの称号を持つ私の娘ではないと思え」

そこでブルテグルチン妃は一つ一つを心に刻んで涙を流しながら鐙を踏んで車に乗り込んだ。

側近の大臣はトルコ石と珊瑚をつけた装身具をはずし、ムンリクは五つの盾を背負って前に立った。

太祖は六種の婚礼のしきたり(六種の婚礼のしきたりとはすなわち、婚約をする、ハタグを献上する、お酒を飲ませる、大いなるソム(?)の贈り物を届ける日にちを約束して決める、お酌をして名づけをしてもらう、娶ることをいう。これはモンゴルの六種の婚礼のしきたりである。忘れてはならない)を全うし、ブルテグルチン・ジュスン妃を娶って来たところ、デイ・セチェン自らを始めとして、九つの親戚家を率い、九百九十九人の婚礼の参列者を引き連れて、ブェト国まで海の波のように押し寄せてきた。

そのとき、ヘレイト国の赫王トオリルがブェト国の太祖が再び精力を盛り返したことを聞きつけて、まだ招待もされないうちから我先にとやってきた。太祖が戻ってくる前に、オヘルン・エヘはオンドル・セチェンとウネン・トゥルの二人に命じて婚礼の宴のための大きな幕舎を作らせ、やっとの思いで四方からたどり着いた参列者の宿営地に羊や牛、お茶、バターをふるまわせた。すると、ウリヤンハンのジャルチゴダイが**息子ジェルメを連れてお祝いにやってきて、オヘルン・エヘにお会いしてこう告げた。

「以前、オヨーのデルグン・ボルタグで幼いご主人様がお生まれになったとき、ウルゲイを作って差し上げて、この子を三歳のとき連れてきて差し上げたところ、ウジン・エヘは幼いからといってお返しになりました。その間に、私はこの子を連れて南は金国、宋国、夏国、遼国などを行商をして周り、この子は二十歳近い年齢になりました。

何ヶ国語もの文字にたけ、話もできるようになりました。軍事の知識もありますし、火薬も作れます。今や幼きご主人様の御前で鞍をつけ、鐙を踏んで馬勒を持って、鞭を振り上げることもできます。北はロシアにも何度か行商に行っています。様々なことに少しずつ携わって参りました。旅行や戦争、狩にと何にでもお力添えができましょう。金なるウジン・エヘよ、庇護をして、お手元においてくださいませんか」

そこでオヘルン妃ウジン・エヘがご覧になると、ジェルメの姿は背が高くて腰は細く、顔は玉のように白く、唇は朱のように赤かった。**は高く、細く素晴らしい眉毛、ほのかに輝く澄んだ眼、まさに一代の王を補佐するにふさわしい様子だったので喜んで命じられた。

「あの当時は育てようとしても大変だと思ったのです。今やこのように素晴らしく成長して、しかも私の息子のものとなって助力をしてくださるとは、私たち母子にとってまたとない喜びとなりましょう」
といって、お傍に置かれた。

占い師ジャルチゴダイが言うことには、
「息子の運命はよくありません。私はご主人様が幼いときから一緒に遊び、幼いご主人様にお仕えしながら育つようにと考えていたのです。不本意ながら南北へと行商に行って、ご主人様の辛苦やお骨折りにご一緒できませんでした。そうではありますが、その間に漢地、チベット、タングート、ウイグル、ロシア、朝鮮の言葉をすべて身につけましたので、ご主人様には少しなりともお力になることができましょう」というので、オヘルン・ウジンは喜んでお褒めになった。

そして、婚戚の到来が近づいてきたので、すぐにジャルチゴダイとジェルメの父子は太祖の二人の弟のオイト・オチグ、オラン・ガチグに付き従って接待をしに行った。第二の接待には、オヘルン・ウジンの二人の弟であるオルホノドのウルルゲ大臣、リデル・セチェンの二人が、太祖の上の弟であるブフ・ベレクテイ、ハブト・ハサルの二人を連れて行った。第三の接待には、ヘレイトの赫王が多くの部族の長を従えて、デイ・セチェンを始めとした九つの親戚家にお酒と羊の丸ゆでを捧げて迎え、虎の皮で作られた大きな幕舎を掃き清めて宴を催した。

その後、金の**と玉の敷居に祝詞を奏上し、かまどの火を崇め、オヘルン・ウジンにお辞儀をすると、中でも外でも弦楽器、芦笛、大笛、笛、ヤトガが鳴り響き、九台の荷車が戸口を塞ぎ、二人の侍女が宮殿を帯で囲み、お香や白檀の煙が漂い、人々は皆錦を着て宴は大盛況だった。(考えるに、良質の絹や値の張る錦は西チベットや北モンゴルで使用されるため、このようにたくさん出てくるのであろう。その年活仏ジャンジャーがドローン・ノールで祭りを行なうといくつもの旗のモンゴル人たちが集まり、多くの富豪やワン・グンはいうまでもなく、ハンガイ車を曳いている人もズボンを履かず裸の上に錦のデールを着たという)

その後、オヘルン・ウジンは、花嫁のブルテグルチン・ジュスン妃が**で、温和で、しかも美しく輝き、壮麗であるのを見て、たいそう満足してお喜びになった。太祖と花嫁が揃って跪いたので、(オヘルン・ウジンは)祝福してお酒を賜った。見ると、まったく一組の天のホルモスト神の王のような気概があった。そして、ブルテグルチン妃の寛容で聡明なことが国中で評判になり、多くの人々はセチェン・ジュスン妃と呼んだ。後に太祖がハーンの位についたとき、元朝の史書に「光献皇后」とされ、オヘルン・ウジン(ウジンとはおばあさんという意味の古いモンゴル語である)は「タイ・チェン太后」***。

そして、四方から太祖の隆盛を聞きつけて、この宴に集まってきた小国や小部族が極めて多かったので、太祖は、馬乳酒、ヨーグルト、乳、バター、牛、羊、雌牛、雌馬の丸ゆでと皮、お茶、大麦の粉などを何台もの車に積んで、ケルレン河の端の大きな幕舎に持って行き、三日間の盛大な宴を催した。

赫王は以前自分の父親と盟友であったし、今も真っ先に婚礼の宴の支度をして待っていてくれた、といって(太祖は)自分の着ていた茶色い黒テンの外套の良いものを選んで、主な贈り物となして彼に着せた。また、宴席の上座に座らせて、デイ・セチェンの接待をしてもらい、宴には金の器を使用したので、赫王は非常に喜び、お酌をしながら

茶色の黒テンの外套のお礼に
散り散りになった汝の国をまとめよう
黒いかわうそ色の外套のお礼に
別れ別れになった汝の国を一つにしよう

と述べた。オヘルン・エヘは元来ブェト国の人々にお酒を固く禁じていたため、宴にもお酒を出さなかった。それに対して、ソラダス氏族のトルガン・シラは、ホンギラト氏族のボーラルが心楽しくない様子なのを見て、太祖がお酒を下さるようにと、思い起こさせるような言葉を述べた。

盛大なるこの宴で
世の中の食べ物はすべて揃いたるも
頼りになる良き果実酒がなければ
無益にぼんやりと活気がなくなり
極上の宴も台無しにならんや

そこでジャライト氏族のムカリはそれに応じて、

お酒は約束した言葉を忘れさせ
傲慢な心を乱れさせる
お酒の必要はない
もっとましな話をしようではないか

するとジュルチド氏族のチョー・メルゲンはこれに応じて、

太古より伝えられた聖なる水
重要な集まりに今や幸福の
これをもし我慢するならば
このように盛大な宴の日に
**になってしかるべし

この時、アルラド氏族のボールチは太祖が妃を娶ったことを聞きつけてお祝いにやってきて、この度の宴に参加していたので、すぐさま続けて述べた。

味をみんとすれば
金の絞り汁のごとくして
口から出づるときは
獅子が立てるに同じ
理と知の二つを忘れさせ
入り引きてきたるを消失させ
たくましき身体を腑抜けにさせ
隠密な話を暴露させる
果実酒を貪ることなかれ
良き政の話をしよう我らは
お酒に味をしめることなかれ
様々なことを相談しあい解散しよう我らは

するとウリヤンハイのジュルメは今しがた来たばかりだったので、この機会に学識と知恵を披露しようと、大きな声でこう言った。

お酒は酔わせる性質なれど
ご主人様の法なからんや
茶色の果実酒は酔わせる性質なれど
聖なる主人の支配はなからんや
飲み物として果実酒を飲めば
仔馬のように幸福になり
前後の見境なく酩酊し
倒れ起きるまで散り散りにならん

するとブスド氏族のゾルゴガダイは、はいと言って続けた。

飲み物の果実酒がなければ婚礼もない
出会ったこの身にも幸せはない
お酒に果実酒がなければ美味しくない
約束を交わして友となっても幸せはない

そう言い終える前に、オイラートのハル・ヒルが起き上がって言った。

集いし皆で飲めば幸せ
近くに遠くに聞けば希望
約束しがたい言葉に飾り
殺し戦いあう戦に勇気

そして、なぜ飲まないでいられようと言った。デイ・セチェンに従ってきたフイスン・ボーラルは、三人が続けてお酒を褒める言葉を述べて、お酒を禁ずる者がいなくなってしまったのを見て、我らが由緒あるボルジキト氏族のお酒の禁忌を破るのは好ましくないと考え、急いでこう言った。

交わした約束を忘れさせ
善き人々を悪しきに導き
真の言葉を追い出して
清き知恵を鈍らせるではないか
茶色い果実酒に益はなし
決別させるのが常にして
ボルジギトの思慮深い禁忌を
考えなしの果実酒で壊すことなかれ

すると、シリ・ホトグは快く思わなかったので、大きな声で言った。

聖なる主の福多き運勢に
白鳥のごとく声を合わせて
野生馬のごとく力を合わせて
集まった皆で楽しみつつ飲むべし

そうやって識者たちが言い合いをして止まらないでいたところ、戸口の近くで器を運んでいた一人の孤児の男の子があざ笑いながら立っていたのを太祖はご覧になって、その男の子を傍に呼び寄せて尋ねた。
「坊やよ、なぜそのようにあざ笑っているのだ」と聞くと、その孤児は告げた。

大人の仲間入りもできますし
思ったことも述べられます
大臣とも肩を並べられますし
分別ある意見も述べられます

というので、太祖は言った。
「何事もなければよいが。坊や、言うことがあるなら言ってみよ。口があるなら述べてみよ」

そこで孤児は感謝して、知恵の限りを尽くしてお酒の害悪と学識を区別してこう述べた。

やみくもに飲めば病の元
ほんの少し飲むなら薬
この祝宴で飲めば幸福
馬鹿げた泥酔は浅はかにして
久しく常に飲むなら害毒あり
極めて忍耐強ければ知恵あり
故あるときに飲めば賑わしく
倒れるほどに飲めば難儀なり

そこで太祖はたいそう喜ばれ、それに賛成してこう述べられた。

「少年の言葉はまさにとても正しい。お酒というのは、少しだけ飲むなら心を楽しませるものだ。習慣になってしまえば生命に危険を及ぼす害毒に溢れている」といって少年の出身地と氏族を尋ねたところ、少年は跪いてお辞儀をし、私めはバヤゴド氏族の十三歳の孤児の少年でソチ(ソチというのは幼い頃から人々が驚くほどにしゃべったので驚いた父母がソチと名付けたのであった)ですと言った。

太祖は非常に快く思われ、きちんとした衣服と帽子を与えて褒美とし、少年の名前を変えて、多くの識者たちの間で分別をつけることができたといって、オヨト・セチェンという名前を授けた。その後、オヨト・セチェンを登用して側近となした。彼はウイグル国の文字にもよく通じていたので、太祖の起居動作を記録する係となり、朱の筆を賜った。

それから、太祖は起き上がって宿営地の間に赴いて、内殿に入り、オエルン・ウジンにお酒を賜るようお願いしたところ、オエルン・ウジンはあまりにも素晴らしい花嫁を娶ってとても喜ばしい時なので、太祖の願いを聞き届け、お茶やお酒の類を一括して管理しているシュフルという者に呼び寄せて命令し、何種類ものお酒の類を何台もの車に載せて大宴会に持っていかせた。

それには何千もの賓客たちは喜んだ。湖や海のようなお酒と果実酒、山のように積み上げられた肉や食べ物、および五種の液汁、七種の柔らかい食べ物、九種の丸ゆでを用意した大宴会となった。相撲、弓技、詩歌もあり、弦楽器、芦笛、ヤトガ、笛が鳴り響き、**喜びに満ち溢れた素晴しさは筆舌に尽くせないほどであった。デイ・セチェンもとても喜んで褒め称えていた。北モンゴルではおべっか遣いは常なることだったので、この時、ブェト国が精力が強大になったのを見て、付き従ってきた部族も少なくなかった。

デイ・セチェンが宴会を眺め渡すと、このたびの集まりに集まった壮麗な識者は格別な様相を呈しており、多くの部族の民々を見ると、壮麗な若者たちは皆、ほとんどが婿の太祖を心から尊敬している様子であった。そして、眼を転じて婿の太祖を見ると、ホルモスト神のごとく、玉岩のようであり、顔の光はすべての人民を支配し、眼の勢いはすべての人々を威嚇するものであった。

本当に万人の群れを隈なく照らすような光を放っており、多くの人々の間で赤い光線がぱっと光り、全く生まれながらにして天の子の様子を隠すところなく示しているので、デイ・セチェンは内心とても喜んだ。自分の年もまだ四十を過ぎていないので、きっとこの群れの主と臣下が栄えるときを間違いなく見ることができようといって、いっそう喜んでは飲むのであった。

また、婿に反逆するものはいないかとひそかに伺い見ると、主席に座した赫王なる者は顔が黄色く、髭が薄く、眼は三角で瞳孔は黄色っぽく、人が悪そうだった。さらに彼の息子は金国から新公の称号を賜って、名前をイルゴといったが、傲慢かつ凶暴で、高慢ちきである。太祖の威光には不満で、妬んでいる様子であった。彼の生まれついた様は、地ねずみの頭のようで、しまりすのような眼、走り方は狐のようで、狼のような眼つきだった。

再び見ると、ゴルロドから来た一人、ジャムハなる者は背が低く、脚が長く、顔は黄色っぽく、歯は凶暴で、蛇のようで狐臭い眼つきであった。また、かねてから盗賊の一族であるライハト部族のセチェン・ブフなる者は、手斧のような頭、フクロウのような眼つき、狼のような口の両ヘリ、蛙のような太腿で、ろくでもない人物であった。

ハルガイ部族のメゲジン・セゲルなる者は、実に豚のような背中で、ラクダのような脚で、とても嫌気がさした。マイルジ部族の長オンドル・セチェンの兄、ウニの使者としてやってきたトドなる者はウサギのような頭で、蛇のような眼つきで、熊のような首で、牛のような鼻梁をしていて、かなり変な風貌なので、夜になってから一人一人について皆太祖に話をして、彼らをずっと用心しているようにと言った。

このとき、さらにイジルチ、チチルチ、ミジルチという三つの部族がいた。

そして、次の日も同様に海や湖のようなご馳走を前に宴会をしていると、ベスド部族のゾルゴガダイが突然出てきて跪いてこう言った。
「私は以前、タイチウドと一緒にご主人様の乗った血紅馬の首を射って死なせてしまったのを、ご主人様ははっきりと覚えていらっしゃいますでしょう。今や、私をお許しにはならないでしょうね」
というので、太祖はかすかに微笑みながら言った。

「仇でありながら、会いに来たとは、よき男児ではないか。よき男児は草の芽のごとく兄弟のように愛するべきである。希望して敬ってきたのに、どうして仇を討つことがあろうか」

というので、ゾルゴダイは、
「運命のご主人様は貴方様です」
といって涙ながらにお辞儀をして付き従った。お酒について論議していた人々も皆非常に感動し、一緒にお辞儀をした。

かくしてゾルゴガタイが矢じりで血紅馬を射殺したにも関わらず、復讐を恐れないで矢じりのように飛んできて付き従ったため、ゾルゴガタイという名を改めてゼブと名付け、参列に加えさせた。このように多くの人々が歓喜に沸き、天と地の父母、日と月が満ち、ハーンと妃が出遭ったことの賑わいは万物が花開いたごとくであった。

そして、第二日も同様に湖のようなお酒と山のような肉を積み上げて宴会をしていた。最初の日に招待されてやってきたライハト部族の盗賊の一味のセチェン・ブフなる者には、二人の母親があった。

年上の母親はホーチン妃、年下の母親のイボハイといった。イボハイはほんの二十数歳で、顔つきは美しく、お酒にも強かったため、宴会の分配係をしていた者はイボハイに大きな皮袋二つ分のお酒を与えた。しかし、年上の母親は飲むことができないので皮袋一つ分だけのお酒を与えた。

するとホーチン妃は嫉妬心を起こし、オエルン・ウジンの傍から怒って出てきて、宴会の分配係をしていた者を探し出して、

「あなたはどういう訳でイボハイと仲良くして、私を見下すのか」
と言って、シュヘルを引っ掻き、さらにイボハイをつかんでひどく叩いて帰ってしまった。

シュヘルがそのことを太祖に報告すると、太祖はかすかに微笑んで、
「無知な悪い女を気にかけて、どうしようというのだ」
といってやり過ごしてしまった。

三日目も、セチェン・ブフの馬子がブフ・ベレクテイの豹の腱でできた馬の尻帯を盗み取ったので捉えられた。ベレクテイがいくらか戒める言葉を述べて跪かせたところ、セチェン・ブフは突然のことに恥ずかしさに怒り、ベレクテイを罵ると、ベレクテイはこう言った。

「私の兄はあなたを客人として尊重して、盟友たちと一緒に宴会に参加させたというのに、どうしてこのように恥ずかしいことをするのか。昨日はといえば、お前の二人の母親が喧嘩をして我々の宴会を台無しにしてしまった。今日はといえば、お前の馬子が酔っ払って、また私の馬の尻帯を盗んだのである。こんな恥ずかしいことをする人が他にいようか」
というと、セチェン・ブフはいっそう怒って酔っ払った勢いで剣を抜いて斬りかかると、ベレクテイは慌てて身をかがめて避けたが、背中に傷を負って出血した。

ベレクテイの臣下はそれを見て大きな声で一度叫ぶと、馬乳酒をかき混ぜる棒、肉を食べるときのフォーク(?)、木の竿、鉄かぶとを持って打ちに行った。これに対してセチェン・ブフは剣を振りかざして大いに暴れたが、ベレクテイは大きな声で臣下を叱って言った。

「あなたはどうして私の兄の祝宴を混乱させようというのか。私の傷はそんなに深くありません」
というと、盗賊の一味のライハド部族の者どもが一斉に武器を手にして攻撃しにやってきた。それで双方でもみ合いが始まった。太祖はベレクテイの背中を斬られたということを聞いて、雷のように怒り、机を叩いて大きな声で一言怒鳴った。

「つけ上がった奴隷のセチェン・ブフを打ちのめして連れて参れ」
と言うやいなや、ムカリ、ボールチ、ボーラル、チョローンらが身を動かし、武器をつかんで一斉に走り出てきた。

この場面がどうなった知りたいでしょうが、研究者で役人である私の青いともし火を消して、白い**の幕の中で一夜を眠って過ごし、赤い太陽が昇る前に母親に挨拶をして、黒い墨を摺って、ホホ・ソダルの続きを書いた次の章をお読みください。


美麗な詩を生み出すはお酒なるものの
殺し合いや怒りを生み出すもまたお酒なり


第三章

H2 第三章内容

H3 第三章内容

H4 第三章内容

H5 第三章内容
H6 第三章内容

第一章

ブェト国にはイェスゲイ・バートルなる人物が君臨していたが、彼はバルゴ・ホローにある旧ブェト国の地で気候風土に恵まれた土地を選び、人々は土の建物と木の垣根を築いて集落をなして住み着いた。さらには、橋を作っては河を渡ってあちこち移動していた。

多くの部族は、物事に通じた勇者としてイェスゲイ・バートルを崇拝し、畏れかしこまっていた。人々はまるで蜜蜂のように付き従ってきたため、彼の勢力は次第に強大なものとなっていった。

ある日、イェスゲイ・バートルは軍陣を前にした小高い丘のアルスラン・ツァツァルに座して、ブェト国の十万の大軍を訓練させていると、突然、日の昇る方角から砂埃を巻き上げて、百騎以上もの兵が先頭の人物に率いられながら、飛ぶように疾走してくるのが見えた。

事態に気づいた将軍たちは、こちらに向かってくるのはきっとケレイト国の王であろうと告げた。たしかに、その旗には熊が描かれ、ウイグル国の文字で「ケレイト国の王」と書かれてあった。しかも旗の天辺には孔雀の羽が刺され、房飾りには豹の尾が縒ってあるのでそれと分かった。

そもそも、以前このケレイト国を支配していたバイルは、アルタン・ウルス(金国)を大国として迎合し、アルタン・ウルスからは北の国境地域のイフ・バイルとして王の称号を与えられていた。

バイルが亡くなった後、その長子トオリルが王位について権力を握ったが、自分の兄弟達を理に叶わぬやり方で幾人も斬り殺してしまった。

このため、トオリルの叔父であるジュラが憤慨し、トオリルを殺して王の位を奪い我が物にせんと軍隊を編成して攻め込んだ。トオリルは自らの軍を従えてガローンという場所でこれを迎え撃ったが、巧妙な作戦による攻勢であえなく惨敗し、トオリルは政権、官吏、臣民などをそっくり奪われ、わずかに手元に残った軍を率いてイェスゲイ・バートルに援軍を求めに来たのだった。

当時トオリルはケレイト国の王だったため赫王(へ・ワン)と呼ばれていた。赫王は陣の前にやってくると、離れたところから馬を下りて跪いたままでいざり寄り、軍が攻撃されたいきさつを涙ながらに語り、頭を下げて頼むのだった。

「かつてはバルダン・バートル王たる叔父が存命だった頃、その庇護の下に我がヘレイトは安泰でした。今となっては英雄であり慈悲深いあなた様だけが頼りなのです。どうか哀れなみなしごに情けをかけると思ってお助けください。ご自慢の軍隊を率いて、私を死ぬ目に遭わせた奴らに敵討ちをしてくださいませんか」と哀れなほど訴えては頭を下げ続けた。

イェスゲイ・バートルは慌てて天幕から降り、赫王を抱き起こすと答えた。「こうしたことを聞いては、放っておけない性分のこの私。弱き者をかばい、痛めつけられた者に代わってあだ討ちをするなど、幼いころから日常茶飯事のことでした。王様が敵軍に女子供をすべて奪い取られ、辛酸をなめられているとあっては、どうしてご支援せずにはいられましょう。どうか、憂いて心を痛めなされぬよう」

そしてにこやかに赫王をなぐさめて、ただちに大規模な宴席を設けて篤くもてなすと、精選した一万の軍隊と勇将を自ら率いて、火薬をしつらえて太鼓を打ち鳴らし、虎の尾を結わえた旗をなびかせてケレイト国を目指して出陣した。

ケレイト国に近づくとイェスゲイは赫王に向って「もしそなたの叔父ジュラが私の到来を聞き知れば、きっと恐れて守備に徹し、立てこもってしまうでしょう。そうなると、王様の女子供は敵の人質となってしまうのでやっかいです。だから、まず彼らの傍まで行って、おびえさせないように気をつけながら、怒らせて煽り立てていらしてください。私はこのガローン山の隙間に身を潜めています。不意打ちをかけて敵の隊列に割り入ってなだれ込めば、どうにか全滅させることができましょう」と言った。

赫王は(それを聞いて)とても喜び、引き連れていた百余の騎馬兵と共に疾走して、ジュラの宿営地の前までやってきた。そしてあの手この手で罵り、「ご自身の姪も同然である私の妻を辱た叔父よ。今度はご自分の母親を犯されるおつもりか」と侮蔑の言葉を浴びせた。

ジュラは、赫王が舞い戻ってきてはそのように罵っているというのを聞きつけると、肝が波打たんばかりに怒り狂い、ただちに鎧冑を身につけて矛を手にするや馬に跨り、その場に待機していた軍を率いて出陣した。

そして、大きな声で「命知らずの雛っ子め。死ぬ目に遭わせてくれよう」と叫ぶなり、隊列に割り入ってきた。両者はしばらく揉み合っていたが、赫王はまさか本当にジュラと一戦を交えたのではとてもかなわないので、すぐに刀を納めて逃げだした。

ジュラの軍隊はというと、ときの声を上げて後から迫り来る。赫王は、ガローン山まで逃げ込んだところで、兵士に命じて合図のラッパを鳴らさせた。そこで、待ち構えていたイェスゲイ・バートルは、山の隙間から五列編成の全軍を率いて、ジュラの軍隊を押し殺しつつなだれ込んできた。

赫王もアンドゥ将軍を引き連れて再び戦列に加わろうとしたが、ジュラの軍隊は真っ二つに分断され、しかも隊列の先頭から終わりまですべて敵に囲まれてしまって恐慌し、混乱をきたしていた。

逃げ惑っていたジュラは、突如として踵を返して再び戦列に加わらんとしていたが、イェスゲイ・バートルに出くわすと肝を冷やして言葉を失い、心臓は早鐘を打って手は震え、途端に戦意を失ってしまった。そこへ赫王も戻ってきて近くへ歩み寄ろうとしたところ、ジュラの軍隊は恐れをなしてすぐに四方へと散り散りに逃げてしまった。

しかるにイェスゲイ・バートルは家来に声高に命じ、ジュラを幾度も刺していたぶった。ジュラは痛がって手足を広げ、大声で唸り叫んで、乗っていた馬を支離滅裂に鞭打つと、命からがら逃げ出した。そして、もうケレイト国を治めることはできないと悟って身一つで逃げ出し、夏国へと亡命したのだった。

イェスゲイ・バートルはケレイト国の全ての民を平定し、戦利品は全てそっくり赫王に与えた。また彼の部族の中から、ホロガやアンドゥなどといった何人かの勇者や有力者を選び出して、赫王を補佐して政治を行うようにといって士官や将軍として任命した。さらに赫王には、ジュラの妻や子供をいじめすぎないようにと諭した。

こうしてイェスゲイ・バートルは、ケレイトの政治を建て直して安定させると、盛大な宴を催した。赫王は宴席でイェスゲイ・バートルの恩を思いおこし、目から涙を流しつつ、しゃくり上げてはむせび泣き、盟友の誓いを立てた。自分よりイェスゲイ・バートルが年下であっても、兄として敬いたいといってお辞儀をし、血の誓いを立てて宴を続けるのだった。

かくして、赫王がイェスゲイ・バートルの軍に対し褒賞を与えたのは言うまでもないことである。勝利をおさめた軍を率いて、イェスゲイ・バートルはブェト国へと戻ってきた。ところが、その道すがら、突如として斥候の者が飛ぶようにやってきて、「上様が留守にしている間にタタル部族の軍が攻め込んで、我が国西部のジュルヘン部族を攻撃し、物品や家畜を奪って、妻や子供たちを連行してしまいました」と告げた。イェスゲイ・バートルはこれを聞いて、雷のごとく激怒し、国に帰りつくなり軍馬を増強し、ただちにタタル部族を討たんと狼煙を上げ、山が崩れ河がうねるかの勢いで軍を出陣させた。

まさにちょうどその頃、イェスゲイ・バートルの妃のオルクヌウド部族のオへルン・ウジンは、聖なるチンギスを身ごもっていた。

(オヘルン・ウジンが)初めて身重になったときのこと。ある晩、皆が寝静まった幕舎の天井の穴から一筋の金色の星が射し込み、カマドの道具に当たって反射して、家中は白い光に満ち溢れた。そして、次第に一つに集まって銀の水のようにあふれ輝いたかと思うと、白馬に乗った人の姿に変わった。それは銀の鎧兜を身につけ、身の丈は9トホイ(訳注:モンゴルの伝統的な長さの単位)ほどで、5つに縒った美しい髭をはやし、月のような丸顔で星のような目をして、手には銀の柄のついた鋼の矛を持つ、金色の神の化身であった。

(その人は)母なるオヘルンがお休みになっている寝台へとまっすぐに歩み寄ると、オヘルンを慈しまれたので、驚いて眼を覚まされたものの、夢か現か定かでなくなった。このようにオヘルンは、太祖となる聖人を身ごもられたのだった。現在モンゴルでツァガーン・スルト・テンゲル(白力天)として崇められているのは、すなわちこの父なる神のことである。

イェスゲイ・バートルはすでに大軍を率いてタタル部族を平定し終え、ブェト国は平穏な状態にあった。もうすぐ四月になろうとするある日のこと、草原には緑の草々が生い茂り、山には花々が咲き、様々な雀が囀り、程よく穏やかな気候だった。オヘルン・ウジンは気晴らしに数人の侍女を連れ、オノン河の岸辺にあるデリグン・ボルタグ山に登って草花を眺め、雀のさえずり声を楽しんでおられた。まさに色とりどりの草花を見て楽しみながら進んでいくと、突然風に様々な草花の香りに混ざって、白檀のいい香りが香ってきて、五臓六腑に染み渡り、それと同時に陣痛が始まった。

オヘルンは、身ごもられたときのことをふと思い出し、数えてみるといつしか十ヶ月が過ぎ、出産の時期になっていた。出産は初めてのことだったが、陣痛の具合からして、幕舎まで戻るには間に合わないのが明らかだったので、慌てて身を隠すことのできる場所をお探しになった。オエルンがそこにたどり着かれるやいなや、聖なる太祖はお生まれになった。

空は雲ひとつなく晴れていたのだが、そのとき突然、一片の五色の雲が現れて上空を覆って漂い、まるで花の芯のように甘い香りの雨がぱらついた。デリグン・ボルタグ山の頂上からは、幾抱えほどもある太さの一条の白い光が昇ってきて、虹のごとく天にかかったまま、三日三晩消えなかったという。

これについては、ブェト国の人や各部族の人々皆が目にしただけでなく、南宋、金、遼、夏などの多くの国々でも目撃され、各国の天文観測によって、北方の空に真龍天子生誕の徴である白い光が現れたと朝廷に報告がなされている。壬午年の四月十六日午の刻のことである。

この壬午年に起こった出来事については、『資治通鑑綱目』、『史事通考』、『万年暦』などに記載されており、仔細に調べて日時を照合してみると、南宋の杭州に亡命した第十代皇帝宋高宗趙構の時代の紹興三十二年のことで、宋朝ではこの年の正月の元旦に日食が観測されている。

なお、この年は金朝の第五代皇帝世宗完顔雍の時代の大定二年に相当する。金国の先の皇帝完顔亮の死後、後を継いだ皇帝や大臣は彼の罪状を数え上げ、完顔亮を降格させて亮王と改めた。その当時、多くの国々では皆、北の空に現れた白い光を見て恐れをなしていた。この壬午年から、大清朝第十代皇帝穆宗の同治十年辛未年の今年(訳注:ホホ・ソダル執筆当時)まで、実に七百十年の歳月が流れようとしている。折しも、オヘルン・ウジンは19歳になられたばかりで、イェスゲイ・バートルが25歳であった年に、聖なる太祖はご生誕なされたのである。

そして、この日より丸三日間、オノン河の水は底のほうまでとても清く澄み、何尋もの深さを泳ぐ魚まで見通せた。というのも、聖なる太祖を沐浴させたボロル泉の水が流れ込んだからだった。オエルンは白草の茂ったところで太祖をお産みになられたのだが、臍の緒を切るための刀がなかったので、白草によって臍の緒を結わえ、侍女たちに命じてデリグン・ボルタグ山から鋭利な石を探させ、二つの石を使って臍の緒を断ち切った。母なるオヘルンは、生まれた我が子を見て慈悲の心を動かされ、はらはらと流れたその涙は、臍の緒と石や草の上に零れ落ちた。そしてオヘルンは、心からの祝福の気持ちを祝詞として奏上した。

ああ、山中で生まれた始めての我が子よ
草の上に落ち出でた我が宝貝よ
白草のように子孫が増えますように
皇帝の血筋は岩石のように堅固でありますように

このように祝詞を唱えたため、現在では聖なる太祖の子孫は百七旗にまで増え、皇族の位も代々続いてきたのである。

岩石を称えたのは、もともと北部モンゴルには岩山が非常に少なく、そうした岩石のある峰はデリグン・ボルタグという山にしかないからだ。この山は千里以上の長さの龍のような、遠くから見ると牛の脾臓(デリグウ)のようであるため、デリグン・ボルタグと名付けられていた。この何里もの長さをもつ龍のような岩壁の、宝石を宿す峰で太祖がお生まれになったことから、後に人々はオヨーギーン・ボルタグと呼ぶようになった。

この土地は、今となってはハルハ四旗のうちどのハルハ地域なのか明らかではなく、オノン河の付近だということしか分かっていない。もしデルグン・ボルタグという場所がオノン河の近くにあるならば間違いなくそうである。後世の学者たちが、もし北部モンゴルの出身者と話をする機会に恵まれ、正確な場所を知り得たならば、ぜひともこの書物に現在の地名ではっきりと記し、モンゴル人達に知らしめて欲しい。このため、後世の学者達がここに記すことができる場所を空けておくとしよう。書写の際にも、このように空白を設けておいて欲しい。いつ何時見つかるか定かではないが、北部、南部といわずモンゴル全土の皆で探すべきである。以下、数行の空白。






さて、太祖を岩山のボロル泉の水で洗い清めてみると、太祖は両手にそれぞれ羊のくるぶしの骨ほどもあるノジを握って生まれてきたという。(著者が調べたところ)石のような血の塊をノジと呼ぶそうだ。侍女たちは、急いで営地まで戻ると赤いフェルトを敷きつめた御車を運んできて、お后を連れ帰ろうとした。するとその途中、一人の人が御車の前に立ちはだかった。懐には玉のようで、花のごとき3~4歳ほどの男の子を抱いたその人は、驚いてこう言った。

「ああ、なんと、聖なる天子は確かにここにおいでだ」

この人物は誰かといえば、現在の東トゥメドおよびハラチン三旗の先祖に当たるジェルメの父親ウリヤンハン部族の人で、名をジャルチゴダイといった。生まれながらにして聡明で、物事をよく占い、左の眼には黒目が二つあった。どんなことを占うにつけても神の御宣託のようだったので、あちこちに頼まれて呼ばれては、土地の良し悪し、遊牧のやり方、子供たちの運勢、家畜、特に馬の状態などを占っていた。

この人は中年になってからやっと子供に恵まれた。ある朝のことである。(ジャルチゴダイは)金色の鞍と轡をつけた馬を夢に見た。馬は口に鞍をくわえたまま疾走して中に入ってくると、鞍を目の前に置いた。これはきっと鞍をつけて欲しがっているのだろうと思い、鞍をつけてやって腹帯を締めようとしたところ、準備はすべて整っていたのに、ただ腹帯だけが不足していた。

ふと見ると、彼の妻のオラン・ヒスグがヒョウの筋で作ったジリム(鞍の左側の革紐)を腰に締めている。急いでそれをとって鞍に結びつけて腹帯を締めると、馬の金色のたてがみと尾からは火が立ち上がり、一匹の火龍に姿を変えた。そして彼の家の全部を取っていこうとしたので、恐ろしさに目を覚ますと、その直後に妻のオラン・ヒスグがこの男の子を産んだので、この子はきっと将来大物になるに違いないと思い、夢にちなんでジェルメと名付け、あちこちに呼ばれて行くときには、すぐ近くであっても必ず抱いて連れて行くのだった。

この日は、いつのまにかバルゴー・ホローまで足を伸ばしていた。白い光が立ち上ってオノン河が澄んでいるのを見て、光の正体をつきとめようと進んでいったところ、オヘルン・ウジンに出会ったのだが、太祖を一目見るなり、声を失ってしまった。そして、オヘルン・ウジンに付き従いながらこう述べた。

「この人はただのお方ではありません。他の子供と同じように床や地面に横たえて育ててはなりません。確かな天の庇護を受けた星の下のお生まれです。奥まった場所でお育てして、穢れさせるようなことがあってはなりません」

そこで母なるオヘルンは、どのようにして奥まった場所でお育てすればよいのかと訊ねると、ジャルチゴダイはちょっと考えてから、それは簡単なことだといって、

「野原に生えている太い柳の木を、アルガリを燃やした火で折り曲げてかじ棒のようにして、さらに細かく曲げ、きれいに環状に形を整えて先の部分を覆うのです。夏の暑い時期にはそれを吊るしてお育てし、冬の寒い時期には中に包み込んでお乳をお与えなさい。極めて徳の高い方をお育てするものなので、ウルゲイと名付けましょう。非常に徳のある方をお育てすることにちなんで、こう名付けたのです」と述べた。

ウルゲイというものはこうしてできたのだ。後世の人々は皆、このようにお育てしたから大物になったのだとか、中に入れてお育てしたからハーンになったのだといって真似したので、現在に至るまでこのような習慣として伝えられている。

そのウルゲイの上には真っ白な羊の毛皮で袋を作って吊るし、中を南方の九種の穀物で満たして、九種の絹で環を覆い、三日目になってからウルゲイからお出しして、九つの泉の九種の水で再び洗い清め、九頭の雌馬の乳を振りかけてから再びウルゲイにお入れした。ジャルチゴダイは、九種類の飲み物、バター、ヨーグルト、クリームを使って祝福しながら祝詞を奏上した。

ウルゲイの無比なるに身を横たえ 向かうところ敵無しの天の御子 柳の木より作りたるウルゲイより 聖なる人の末裔は絶えて穢れず 玉のごとく素晴らしきウルゲイに 横たわれる王の御子は後の世に 王位に就かれて民を愉しませむ

そしてさらに、オヘルンに向かってこのように奏上した。

息子ジェルメを献上し
聖なる方の家臣とせむ
愛しの我が子も行く末は
僕となりて仕えんことを

するとオヘルンは、「まだ幼すぎるではないですか。育てるのが大変です。もっと成長してから連れてきてくれれば、大臣にしてあげましょう」といって、三日間宴会を催し、宴席では敬意を表してジャルチゴダイを一番の上座に座らせ、宝物を褒美として与えて帰らせた。

その頃、イェスゲイ・バートルはタタルの軍勢と戦って勝利をおさめていた。タタル族の首領タラムを生け捕りにし、帰り道にはテメーチン部族を討ったので、喜び勇んでバルゴー・ホローに戻ってくると、折りしも太祖は生誕から一ヶ月を迎えていた。

太祖を一目見ると、真っ白なヨーグルト振りかけたように輝き、バターを振りかけたように滋味のあるお姿である。しかも、頭はがっしりと大きく、顔は角ばっていて、光り輝くような素晴らしさだ。

イェスゲイ・バートルは嬉しさを隠しきれず、「この息子が生まれたとき、ちょうど敵を討ったのだ。しかも手に血の塊を握って生まれたというではないか。きっと将来は偉業を成し遂げるような男に成長するに違いない。タタルに勝利して、テメーチンを討ったのも天の思し召しに違いない」といって、テムジンと名付けられた。聖なる太祖は、このように天の定めによってテムジンという幼名を授かったのである。

光陰は矢のごとくして、歳月は飛ぶように流れ去った。いつしか、太祖は9歳になり、その下には4人の弟と1人の妹が生まれていた。

ある日、イェスゲイ・バートルが狩りに行って帰ってきたときのこと。ふと太祖を見ると、まるで神の化身のように威光を発していた。

何人かの子供たちを従え、大きな松の木の下の盛り土のところで木の枝に跨って、お馬ごっこをしている。手には柳の枝を持ち、妃をもらうぞ、皇帝になるぞなどといって遊んでいるではないか。イェスゲイ・バートルは、そろそろ息子のために嫁を探しにいかなければならないとお考えになった。そこで、オヘルン后の里のオルクヌウドにちょうどよい女の子がいると耳にしたので、太祖を馬に乗せ、お供として何十人かを馬に乗せて連れ、太祖の叔父方の人々が住む土地へと出かけた。

その途中、ホンギラト部族の土地を通り過ぎようとしたところ、ホンギラト族の首領のデイ・セチェンがアジナイ・メルゲンとホダルガ・バートルという2人の息子を連れて、馬に乗って山際を進んでいくところに出会った。彼らとイェスゲイ・バートルは対面したため、ほぼ同時に馬から降りて互いにお辞儀をし、デイ・セチェンはこう訊ねた。

「勇者よ、どちらにおいでになられる」 「私はこの息子の叔父方から嫁をもらおうと、オルクヌウドの土地へ向かおうとしているところです」

と、イェスゲイ・バートルは答えた。

デイ・セチェンは太祖を拝見するなり、驚愕して声を失った。そのご様子をよく見ると、十五夜の月のごとく玉のような白いお顔で、眼は輝く水晶のようで、両眉毛は唐の鳳凰のごとく、鼻はハイルハン山のように高く、唇はオヨーギン・ボルダク山のように豊かで、顔は角ばっていて背が高く、耳は大きくて、胸板も厚く、その周囲十歩以上は神々しさに満ち溢れ、一国の帝王ともなり得べき素質を備えておられた。

(デイ・セチェンは)このことを見定めると、慌てて微笑みながらこう言った。

「昨晩、私の夢の中に真っ白な大きな鷹が出てきて、口に紅日草をくわえ、私の幕舎の天井の上に止まりました。そこで今朝、占いをしてみたところ、高貴な王族のかたが我が家においでになるという結果でした。だから、その占いの示す方向に向かって、こうして迎えにやってきたというわけです。きっとあなた様のことに違いありません。私の家には、ボルテグルチンという名のかわいらしい女の子がいます。生まれたとき、覆っていたフェルトを透かして光が入ってきたのでこう名付けたのです。ちょうど9歳になります。どうか、まずは家にきてご覧になりませんか。子供たちは二人ともまだ幼いですが、背が高くて、まるで12~13歳の子供のようです」

そうして、イェスゲイ・バートルの一行を家に招いてもてなしたのである。

まず、ボルテグルチンがいつ生まれたか訊ねてみると、太祖と同じ日ではあったが、時刻が異なり、太祖が壬午年の四月十六日の午の刻に生まれたのに対し、ボルテグルチンは真夜中の子の刻に生まれたとのことだった。生まれたときには、何層にもフェルトを重ねた幕舎を透かすようにして、灯明のような赤い光が射し込んだのを皆が目にしたことから、覆っているフェルトを透かして輝くという意味のボルテグルチンという名前が付けられた。

北方の地では、将棋とヤトガ(モンゴル琴)を家中でたしなむ習慣があったが、デイ・セチェンはこの子が非凡かつ聡明で、朝日のように美しかったので、特にかわいがって、ヤトガの演奏を教えていた。

デイ・セチェンがイェスゲイ・バートルを家に招いてもてなそうと、ちょうど中に入ろうとしたところ、ヤトガを弾く音が聴こえてきた。そこでデイ・セチェンは家の奥に向かってボルテグルチンと呼んだところ、ヤトガの音は止み、女の子が「はい」と言って迎えに出てきた。その声は、金竹の音のように澄んだ声だった。

イェスゲイ・バートルが女の子をよく見ると、朝日のようにさえわたる美しさで、眼は鳳凰の眼のごとく、雲ひとつない晴天のような眉毛で、長く揃った耳と美しい鼻、珊瑚で飾られた翡翠のような唇で、目は火が燃え盛るようで、顔中が光り輝いていた。しかも、腰は細くて背は高く、見れば見るほど、実に九天の化身のような娘である。じっくり観察すると、将来は三宮を掌握する后となるべき運勢の持ち主であると知れたので、心中嬉しさ一杯になり、そうとは悟られないようにしながら、さらにじっくりと様子をうかがうのだった。

太祖とボルテグルチンは、顔を合わせるやいなや、昔からの知り合いのように打ち解けて仲良くなった。イェスゲイ・バートルとデイ・セチェンはそれぞれ自分の息子と娘をそばに立たせて、向かい合って酒を酌み交わした。デイ・セチェンが言うには、

「我が部族は昔から、見目麗しい娘たちを后妃として、誠実なるボルジギド部族に嫁がせて参りました。常に怜悧な娘たちを后妃として、ボルジギド部族に嫁がせるのが、古くからの慣わしだったのです。私の娘はあなた様のご子息と見合いの組み合わせではありませんか」

しかし、イェスゲイ・バートルは息子にも意向を訊ねようと思い、二人ともまだ幼いので、もうちょっと様子をみてから決めたいなどといってちょっと言葉を濁したところ、太祖は間髪を入れず進み出て跪くとこう言った。

「(この話は)まことにけっこうなことございます。ぜひ成就させてください」

イェスゲイ・バートルはこれを聞いてたいそう喜び、まさに天の定めに違いないといってお酌をし、携えてきたホルツ酒(二回蒸留したミルク・ウォッカ)を勧め、羊や果実酒を差し上げて、(デイ・セチェンの幕舎の)カマドの火にお供えし、九つの贈り物を二組として(十八頭の)馬を差し上げ、太祖にデイ・セチェンに向かってお辞儀をさせて縁組を行い、丸一日祝宴をもうけた。

さて、イェスゲイ・バートルが暇乞いをすると、デイ・セチェンは、「ご子息をみるにつけ、非凡さが感じられます。姿かたちといい、実に素晴らしい子供です。私から学問をお授けしようと思いますが、いかがでしょうか」と申し出た。

イェスゲイ・バートルはこれを承諾し、太祖を義父のもとに預けて帰途についたのだった。

帰り道、タタール部族の者たちが住む土地に差し掛かった。戦の際に、イェスゲイ・バートルが情けをかけたために生き残った人々だった。そこを通ろうとすると、タタールの残党が集まってゆく手を阻み、「私達を生かしてくださったご恩は忘れません」といって招き入れた。イェスゲイ・バートルは断りきれず、お酌をしてもてなされるが、お酒に盛られていた毒に当たってしまう。

事態に気づいた彼はひどく怒って、そばにいた(タタールの)五人のうちの四人をぱったばったとなぎ倒し、さらに遠巻きにしていた人々もやっつけると、馬に飛び乗って疾走し、バルゴ・ホローにたどり着いた。そして、幕舎を目前にしたところで馬からころがり落ちた。

イェスゲイ・バートルは、お供の者たちに抱きかかえられるようにして幕舎の中に入った。オヘルンはたいそう驚き恐れ、訳を尋ねた。それに答えて、

邪悪なるタタールは
懇ろにもてなすも
酒杯には毒混ぜて
我が命を狙わんとす

そして、「誰か近くにおらぬか」というと、ホンコタンのムンリグが「ここにおります。私です」と名乗りをあげて御前に近寄った。

「テムジンをホンギラト族のデイ・セチェンのもとに、婿として残してきたのだが、その帰り道、タタールの者どもに毒をもられてしまった。胸がむかついて気持ちが悪い。愛しの我が子を連れ戻してきておくれ。早く!」

イェスゲイ・バートルは、こう命じるなり倒れ伏せた。

オヘルンはとり急ぎ、ホンコタンのムンリグに命じ、太祖を迎えに行かせた。危篤の知らせを耳にした太祖は慌て急ぎ、夜を徹して早馬を乗り継いで帰り来たが、イェスゲイ・バートルはすでに事切れた後だった。イェスゲイ・バートルは享年33歳、オヘルン・ウジンが27歳のときのことである。

太祖は亡くなった伏した父親を一目見ると、取り乱して地に伏せ、悲しみのあまり大声で泣き叫んだ。

慈悲深き父上よ
不肖の息子がために
命を落とされり
精悍たる父上よ
弱小なる息子がために
敵の奸略にはまりたり

母なるオヘルンは、嘆き悲しんで泣いた末に、(太祖の)4人の息子に事態を告げにいった。

イェスゲイ・バートルには5人の息子があった。長男は太祖テムジンすなわち聖なるチンギスである。次男はブフ・ベルグテイといい、刀や石に当たっても無事なことからこう呼ばれていた。三男はハブト・ハサルといい、矢を射れば必ず命中したことからこう呼ばれた。四男はオイト・オチグといい、現在ではオイト・ワジルと呼ばれることが多い。東西オンニュード旗は彼の子孫である。目で見たことや耳で聞いたことをけっして忘れないので、オイト・オチグと呼ばれたのだ。五男はオラン・ガツォグといい、絵画や彫刻に才長けていたのでこう呼ばれた。また、娘もいた。輝くように色白で美しかったのでトヌメル・デジといい、一番末の妹だった。

ブェト国が国を挙げて喪に服し、悲しみにくれたのは語るべくもない。まだこの頃は兄弟揃って皆幼かったので、従属していた部族の多くは、タイチウド部族のほうが勢力があるといって逃げ出し、太祖の側近として仕えていたホルジという者までも離反してしまった。

太祖は彼を追い、袖を引っ張って涙ながらに懇願したが、ホルジは「深い湖の水は乾き、頑丈な岩肌も粉みじんになりました。それなのに、いまさら私の袖元にすがりついてどうしようというのです」といって、(テムジンの)手を振り払い、先を争うようにして逃げていった。後にテムジンはこのホルジを捕らえ、八つ裂きにして殺してしまったという。

また、チャイルチという部族にウニ、ウンドルという兄弟がいた。兄のウニは部族の中の誰よりも先に離反しようとしたので、弟のウンドルが説得したが、兄のほうはどんなに説得しても聞き入れず、結局、弟のほうだけが留まった。さらに、ウネンという者が一族をあげて誓いを立て付き従ったので、太祖はたいそう喜ばれ、彼らをウンドル・セツェン、ウネン・トゥルと呼んで重用した。

こうして逃げだそうとする者たちの数は次第に増えていった。だが太祖が13歳になったとき、兵馬を一堂に集めて、オヘルンもそれに加勢し、逃走者たちを一斉に懲罰しため、ようやくブェト国はいくらか平静を取り戻した。

太祖たち兄弟はますます成長していった。しかし、あるとき、狩でしとめた鳥のことで行き違いがあって、ちょっとした争いごとになったので、母オヘルンはひどく心を痛めていた。

ある日のこと、(オヘルンは)子供たちを呼び集めてその場に立たせ、父親の遺した矢筒から5本の矢を抜きとった。「これをあなた方、5本一緒に握って折ってみなさい」と命じたが、誰にも折ることはできなかった。(そして今度は)束になっていた矢をばらにして一本ずつ折らせたところ、いともたやすく折ることができた。

そこでオヘルンは子供たちをこう諭した。

「いいですか、子供たち。同じ矢であっても、合わせれば強く、ばらばらにすれば弱くなります。これはあなた方5人も同じこと。今後、皆が力を合わせて仲良く暮らせば、さっきの束にした矢のように、決して敗れることはありません。もし仲たがいして別々に行動すれば、さっきの一本ずつにした矢のように、たった一人の敵にさえも敗れてしまうでしょう。みんなのお父様でさえも、単独で行動した末に、やられてしまったではないですか。残されたあなたたちは、そんなことにならないよう、夫に先立たれた私を苦しめないでください」

そう言いながらほろほろと涙をながしたので、太祖は心動かされ、自分のした過ちを認めて非常に後悔し、兄弟たちと仲直りしたので、オヘルンは安心した。その以降、(太祖は)弟たちに何か至らないことがあっても庇い、よく面倒をみるようになった。

太祖は13歳のときに一度、タタール部族に向けて兵を挙げているが、父の仇を取りきることは叶わなかった。そして何年もの間、復讐心を燃やし続けていたのだが、まだ幼い我が子を心配した母親は、厳しく言い含めて、兵馬の指揮をとる王者の印である剣も自らのもとに保管して隠し置いたので、太祖はそれらを思いのままにはできなかった。

ある日のこと。太祖はすでに16歳に達していたが、父親に危害を加えた仇であるオルドセン・オルゴルという者にいまだに亡き者にすることができず心中穏やかではなかった。

このため、狩に行くと言い訳をしてはこっそりと出掛けて、父親が生前所持していた剣を身に付け、神聖な淡黄色の馬に乗って弟たちや側近たちを従えて出陣した。ところが彼らは皆逃げ隠れてしまったので、馬の手綱を切り返してその住処を尋ね行くことになった。

北方の地では、昔から遊牧生活を送っていたので、決まった場所に生活していたわけではなく、行方を捜し出さなければならなかったのだ。

ジャライト部族のデルゲト・バヤンという土地の近くに着いてみると、丘の上には、色黒で目は星のように輝いてる少年がたった一人で座って鉄の棒を手にし、何千匹もの家畜を放牧しているのに出くわした。ちょっと見ると熊の子のごとくがっしりしており、年齢的には太祖より何歳か年下のようだったが、ずいぶんと貫禄がある。

太祖は少年の近くに寄ると、こうお叫びになった。

「おい、坊主!タタール部族がどこにいるか知らないか?」

すると少年はたいそう不服そうにちらと横目で見ると、だしぬけに起き上がるなり大声で叫んだ。

「なんたる口の聞き方だ。しかもそんなでかい態度で人にものを尋ねるとは、お前はいったい何様のつもりだ」

「私は天下無敵のエレヘ・バートルという者だ」

太祖は心中、少年の肝の太さに感服したものの、わざとこう言い放ち、自分の親指をつきだしてみせた。すると少年は、手にしていた鉄の棒をその場に突き刺さすと、図太い声でこう言った。

「それならお前、馬から降りて、俺にかかってこい。もしお前が言うとおり本当に勝てるものなら、タタールたちがどこに行ったか教えてやる!」

太祖はどうせ小さな子供だと軽く考え、馬から飛び降りて宝剣を置き、取っ組み合いを始めたところ、少年の手足は風や火のごとく俊敏に動いた。

太祖はこれでは、早いとこ少年を打ち負かしてしまわなければ、不意打ちをくらって負けてしまうだろうと思い、何歩か後ずさりをした。そして一挙に渾身の力をこめ、つかみかかって押さえつけると、少年はまるで鬼にでも打たれたかのように足を折り曲げて、膝を地面について倒れこんだ。

太祖はつかんでいた手を離して後ずさりすると、高らかに笑った。

「それみたことか。さあ、起きてタタールの居所を教えるんだ!」

すると少年は地面に跪いたまま、大きな声で言った。

「生まれてから一度も人に負けたことがなかったのに。この俺は不敵のムカリと呼ばれていたんだ。それなのに、今日という日は、こんな怪力の持ち主にやられてしまって。お前さんはただの人じゃないな。正体を明かして、名前を教えてくれ!」

そこで太祖が自分の身分を明かして本当のことを話すと、ムカリはたいそう喜び、なおも跪いたままで答えた。

「徳高きボルジキトの生まれ、テムジンが神の子だとは聞いていましたけど、まったくですね!俺は子分になりますから、どうか馬頭にでもしてください。一所懸命やりますから、偉業を成される手助けをさせてください。俺はジャライド部族のデルゲト・バヤンの先妻から生まれた長男で、家には継母から生まれたダイン・サンという弟がいます。」

ムカリというのは、何をするにも際限をきわめる(モホガン)までやるからそのように名付けられたのであった。ダイン・サンという弟は、父親が戦に行った際、敵方の倉庫からたくさん略奪してきたときに生まれたことにちなんで名付けられたのである。

中国の『資治通鑑綱目』には、ムカリの名は漢字で「木華黎」、ダイン・サンの名は「代松」と書き記されている。

「弟は父と一緒に家で仕事をしています。私は一人、この棒を手にご主人様のお供をして、偉業を成し遂げるためお力になりましょう。父は去年からずっと、私を遣わしてあなた様についていくようにと言っていたのです。私には一筋の髪の毛ほども後ろ髪を引くものはありません。どうか私を家来にしてください」

(ムカリが)こう言ったので、太祖は非常に喜ばれ、あわてて両手で抱き起こした。そして、改めてタタール部族の行方を尋ねると、ムカリはそれに答えて、

「ここから東北の方角にサーラル平原というところで、遊牧をしているタタールのオルゴルという者がいます。他の世帯から離れて、彼ら家族だけが独り移住して、サーラル平原に住みついているのです」

太祖は喜び勇んで、「ムカリ、お前はここで待っていてくれ。私はすぐ戻ってくる」と言うと馬に飛び乗って、剣を身につけ、サーラル平原の方をめざし疾走した。(サーラル平原)にたどり着くと、オルゴルは狩に出かけており、家には女子供だけが残されていた。

太祖は馬を戸口の近くに繋ぐと、道を尋ねるふりをして中に入った。オルゴルの2人の妻は、太祖の様子があまりにも輝かしくて立派なのに驚かされた。

若い方の妻は客人にチーズをお出ししようと取りにいったのだが、(太祖は)その隙に剣を抜いて年上のほうの妻を一打ちして真っ二つにしてしまった。

外に出てみると、若い方の妻が片手にはチーズを盛った盆を持ち、もう片手には木の椀に乳茶を持って、戸口のところに立っていた。そしてにこにこしながら、「お客さん、まだ何もお飲みになっていないじゃないですか。どこに行かれるんです?」と言った。

太祖が「お前の旦那を殺しに行くんだ」といって斬りつけると、乳茶とチーズは地面に散らばってこぼれた。

太祖は再び中に戻ると、そこには女中がいて、たいそう怯えた様子で「人殺し!」と叫んだので、首を討ちはねて口を封じてしまった。

オルゴルの子供たち2人は家の裏で遊んでいたが、叫び声を聞きつけると、急いでやってきた。太祖は彼らもまた一人ずつ斬り殺し、もう探しても誰もいなくなったので、全員の生首を台の上に並べ置いた。

そうして馬に乗って戻ってくる途中、一人の老人が乾いた牛糞を拾い集めているのに出会ったので、太祖は馬を止めて訊ねた。

「おじいさん、あなたはオルゴル家の人ではないですよね」 「そうですよ」

そこで太祖はこう言った。

「何を隠そう、私はボルジギド族のテムジンという者。タタールのオルゴルによって我が父は毒を盛られたため、仇を討ちに参った。ところが、オルゴルは留守だったので、彼の妻子を皆殺しにしてやった。しかし、あなたは年を取っているから命だけは助けてやろう。オルゴルが帰ってきたら、私がこう言っていたとお伝えなさい。『戦えるものなら、後から追いかけてこい!』とね」

そう言い終えるやいなや、風を切って馬を疾走させると、(太祖は)いつのまにか丘のところまでたどり着いていた。

ムカリはというと、いったん帰宅して一部始終を説明し、弟を説得して家畜の番人にもよく言って聞かせ、身の回りの品と鉄の棒を持ってきた。そして、その場に立ったまま待っていたのだった。

しかし馬には乗っていなかったので、太祖が訳をたずねると、彼は笑いながらこう言った。

「能ある男は甲冑なしでも敵を倒し、志ある男は裸一貫で大業を成しとげるといいます。馬の良し悪しは鞍で決まるわけではなく、美女の美しさも衣服で決まるわけではありません。生まれ落ちときから裸だったこの身体、ご主人様にお仕えしようというのに、どうして馬の必要がありましょう」

太祖は、彼のいうことにはたしかに一理あると思って大いに喜び、馬に2人乗りさせようとしたところ、

「二本の足があるのに、(そんなことをしたら)聖なる主に対して失礼に当たります」と断った。

太祖は彼が一筋縄では行かないのを見てとり、またその気持ちを汲もうとして、(自らも)馬には乗らず、彼と一緒になって徒歩で二里ほどの距離を歩いた。ムカリは、主人が馬にお乗りになるように何度も何度もお願いしたが、太祖は承知しなかった。ムカリはいたく感動し、引き綱をつかんで道端に跪いて涙ながらに語った。

「私ごときと一緒に二里もお歩きくださったからには、ご主人様の世が二千年も続き栄えますように。七度も馬にお乗りになるようにお願いしたのに、すべてお断りになるとは。ご主人様の世が七度栄えますように。ご主人様、さあ、馬にお乗りください」

そうして太祖を無理やり馬に乗せると、ムカリは馬の前を徒歩で歩いた。(彼らが)バルゴー・ホローにたどり着くと、宴を催してムカリを丁重にもてなした。

さて、タタールの軍勢が報復にやってくるやもしれないと思い、それに備えていたのだが、案の定、太鼓とラッパを大音響で鳴らしながら一隊の兵馬が到来し、バルゴー・ホローを包囲してしまった。兵隊たちは、ただテムジンを出せと大声で叫んだ。

オロゴルは帰宅した際、妻子たちの生首が並べられていたのを見て猛烈に怒り、タタールの首領に援軍を頼みに行こうとした。だが、そもそも彼らといさかいを起こして抜けてきたので(頼みづらく)、代わりにタイチウド部族のもとを訪れ、チルゲル・ブフ、タハルの2人に自らの苦境を訴えて援軍を頼んだのである。

チルゲル・ブフは、部族のものたちと相談し、

「以前、イェスゲイ・バートルは我々を蹂躙したことがある。その年、彼の妻のオヘルンも我々のところに降った属民たちに向け兵を挙げ、我々も被害を被ったのだ。いまや彼の子供を襲い、その恨みを晴らすときがきた!」と言って、一千の兵を選り揃え、バルゴー・ホローを攻めにきた。

太祖は知らせを受けるや鎧兜を身につけ、弟のブフ・ベルグテイ、ハブト・ハサルを連れ、ホンコタンのムンリク、ジャライドのムカリらは準備の整った五百の兵を率いて迎え撃つ態勢に入った。

すると、オロゴルは大声で言い放った。

「こしゃくなテムジンめ。なぜ私の妻子を殺した。以前、私はお前の父親を殺したが、今度は母親を殺してくれようぞ!」

太祖はこれを聞いて猛然と怒り、目から火花を散らし、雷のごとく叫び声を上げて、淡黄色の馬を疾走させてオロゴルを探して敵中におどりこんだ。弟のベレクデイらの4人も、同時に打ち殺しながら進み、双方は討ちつ討たれつの大合戦になる。

しかし、なんといっても多勢に無勢、さらにタイチウド勢は生え抜きの兵馬で、ブェト国側は次第に合戦を続けるのが困難となり、軍営を護るだけで精一杯の状態だった。

太祖は単身でオロゴルの前に躍り出て、死に物狂いで戦ったので、オロゴルは太祖にはとてもかなわないと馬首を返して逃げだした。

太祖は歯をくいしばってこれを必死で追ったが、タイチュウドが道を遮るように木の根っこに張らせた縄に馬の脚を取られて倒れてしまう。すると、葦の中に隠れていた兵が一斉に掛け鉤を手にして現れ、太祖を捕えてしまった。

タイチュウド勢のチルゲル・ブフ、タハル、タルブタイらは、鐘を打ち鳴らして兵を集めると、太祖に足枷をはめ、オロゴルはこれを殺せと命じた。そこでチルゲル・ブフがすぐさま殺そうとしたところ、タイチュウドのもとで暮らしていたスルタン人のトルガン・シラという者が慌てて進み出てくるとこう言った。

「なりません、なりません。ブェト国のテムジンを捕まえることができたといっても、ブェト国は二十何代も続いてきた強国です。さらにまだ、テムジンの弟たちや大臣をはじめ、何万という属民たち、文人、親戚、婚戚等々、膨大な数の人々が控えています。この度はたまたま不意打ちをくらって破れたにすぎません。もしここでテムジンを殺せば、大きな災いが降りかかるに違いありません。まず彼を拘束しておいて、その弟たちも捕らえ、国を滅ぼしてから殺すのです。そうすれば、災いを逃れることができるでしょう」

タイチウドの首領チルゲル・ブフおよびタハルらは、トルガン・シラの言うことはもっともだと思ってただちにこれを承諾し、テムジンを厳重に監視し、人質とするよう臣下に命じた。だが、オロゴルはこれには不満であった。

タイチウドは敵をやっつけたといって大喜びし、3日にわたって盛大な宴を催した。太祖の曽祖父に当たるハバル・ハン、祖父のバルダン・バートル、父親のイェスゲイ・バートルと三代続く戦いを続けてきたが、今日こそは恨みを晴らすことができたといって、皆はまるで海や湖のごとく溢れんばかりに大酒を飲み、太祖を監視していた者たちも、さまざまな罵詈雑言を投げつけた。

ゆっくり眠ることすらできなかったので、太祖はたいそうお怒りになった。さらに深夜には、オロゴルも酔っ払って太祖を殺そうと待ち構えていた。太祖はあまりのことに堪りかね、「父なる天よ!」と一声叫ぶと、手枷をぐいと捻り、両足で足枷を蹴飛ばすと、その身体は真っ赤に光り輝き、足枷は断ち割られてしまった。

さらに大きな叫び声をあげ、監視をしていた者の頭に手枷を振り下ろし、逃げ出そうとしたところ、もう一人の監視者が大きな声で叫びながら追いかけてきたので、太祖は右足を振り上げて足枷で蹴り倒し、もう片方の手にはまった手枷で頭に一撃を加えたところ、砕けた頭から脳みそと血が溢れて流れ出た。

この騒ぎを聞きつけ、番をしていた者たちが駆けつけてきたが、太祖を探してもすでに姿はなく、数百人の人々が四方八方行方を捜しに出かけた。

さて、トルガン・シラが宴を終えて家に帰ってきたところ、草の生い茂った湖面に赤い光が輝いているのが見えた。そこで手綱を返してもとの道を引き返すと、太祖が水の中から頭を出し、衣服の上には鎖を身に纏ったまま横たわっていた。

トルガン・シラは心中、聞くところによると、夢の中で懐妊してお生まれになった天の子テムジンが、こうして生きておいでになるのは、実にもっともなことだ。私はこの方をお助けせねばなるまいと考えて、小さな声でささやいた。

「なんとまあ、汝は強いことよ。さあ、早く国に帰りなさい。捜しに来た兵隊たちはもう行ってしまったし、私は密告なぞしませんから。ただし後々まで、トルガン・シラという私の名を心に刻んでおきなさい」

そう言うと、また手綱を返してもとの道へ帰っていった。

しかし太祖は、もし今夜国に帰ろうとしても、追っ手の兵から逃れるのは困難だと考え、トルガン・シラが馬に乗っていった道をついて彼の家までたどり着いた。トルガン・シラはこれを見て大いに驚き、眉毛をひそめるとこう言った。

「ああ、さっき早く国に帰れと言ったのに、なぜここに来た。もし彼らに見つかったら、私たち家族は皆殺しにされてしまうではないか!」

すると長男のチョローンは、太祖が天から遣わされた者のごとき威光を発し、堂々として立派なのを見て心動かされ、父親に向かってこう言った。

「傷ついた小鳥を追い出すようなことをするとは。ボルジギドの血筋を引く天の御子、テムジンに対して帰れとは何事です」

そして、濡れた衣服を乾かし、絡まっていた鎖を斧で断ち切って、食事をさせて家に泊まらせた。

翌朝、大きな声がするのでみると、オロゴルが二、三十人の兵隊を連れてそれぞれ武器を手にしてやってきた。トルガン・シラは真っ青になり、慌てて太祖を荷車に入れて隠すと、上から羊の毛を積み上げた。いくらも経たないうちに、オロゴルたちは他の家を捜し終えてトルガン・シラの家に入ってきた。彼らは家の内外を懸命に探したが見つからなかったので、ついには羊の毛を摘んだ荷車のところまで捜しにやってきた。

さて、この続きはいかに。この先どうなったか、賢明な読者の皆様は早く知りたいとお思いでしょうが、ひとまず私は、ちょっと庭に出て花々を眺め、小鳥の声を聞いてから、次の章を書くことと致しましょう。(訳注:第一章完)

宋朝第十代皇帝紹興三十二年、壬午年、金朝第五代皇帝世宗大定二年、聖武皇帝チンギス・ハーンが誕生したときの出来事である。銘記されかし。